大河ドラマ「どうする家康」の9日放送分で、織田・徳川連合軍の甲州侵攻によって武田勝頼が討ち死に(実際には自害だった)するというシーンがありました。いわゆる天目山の戦いのことです。 勝頼は長篠の戦いで惨敗したわけですが、そこから一気に勢力が衰えていったというわけではなく、一時は領土を拡大するほど勢力を伸ばしました。長篠から滅亡までの7年間、何があったのでしょうか。 武田勝頼の墓所(甲州市) ドラマでは天目山の戦いの前年にあった高天神城の攻防について描かれていました。高天神城は、徳川家康にとって遠江東側の拠点でしたが、勝頼が攻め落として武田氏がくさびを打つ形になっていました。 高天神城が徳川軍の攻…