前章では呉の滅亡(紀元前473年)、越の滅亡(紀元前334年)において、日本列島に避難民が漂泊したという仮説を紹介した。 まずは、呉の滅亡に伴う避難民の漂泊の文献や考古学上の痕跡について、紹介する。 (呉の民~北部九州への漂白) 呉の民の漂泊のその痕跡を探索する。第一は北部九州。『魏志倭人伝』の記述では、次のようにある。 「男子は大小となく、皆黥面文身す。」 呉を建国した太伯は、周の王子でありながら呉に自ら下った。二度と周には帰らないという意志を込めて土地の人間と同じように「黥面文身(入れ墨)」を入れたという逸話がある。邪馬台国の習俗と同じである。 また、『魏志倭人伝』の少し前に成立したとされ…