明治日本で、内閣制度が導入される以前に行われていた行政制度。
名前の通り、太政官が中枢官庁になっている。
明治元年に発足。最初から一応は三権の分離がなされており、立法は「議政官」、行政が「行政官」、司法が「刑法官」とそれぞれあった。政治の中核たる行政官の下には、さらに民部をはじめとする官が置かれていた。
1869年に再編が行われ、太政官・神祇官の二官とその下に六省(民部省、大蔵省、兵部省、刑部省、宮内省、外務省)を置く、二官六省体制となった。
1871年に再度の変更があり、三院八省(正院、右院、左院。神祇省、文部省、工部省、大蔵省、兵部省、司法省、宮内省、外務省)となった。
その後も何度かの変更(兵部省が陸海軍省に分離、内務省などの追加etc)を経て、内閣制度の発足に伴い1885年に廃止。