1559(永禄2)年以来続いた松永久秀と筒井順慶の大和を巡る抗争は、1577(天正5)年10月、久秀が信貴山城で滅亡して終結。 大和で順慶に従わない有力勢力は、箸尾為綱と吉野の本願寺勢力くらいとなり、順慶は大和で比肩するもののない絶対的な実力者となりました。 織田政権の外様大名となった順慶は、松永氏滅亡後の大和でその支配権を伸ばし、順慶を通じて中世的封建支配は解体され、大和は本格的な近世を迎えることになります。 筒井氏の近世大名化 本能寺の変 順慶の死 参考文献 筒井氏の近世大名化 1577(天正5)年10月に信貴山城で松永久秀が滅亡すると、順慶は直ちに松永方国人の掃討に動きます。 信貴山城陥…