教興寺の戦い(きょうこうじのたたかい)
1562年、河内国教興寺付近で起った新興勢力の三好長慶と河内国守護畠山高政との合戦。戦国時代における畿内最大、かつ畿内の覇権をめぐって争った最後の戦いでもあった。三好勢が畠山方湯川直光らを撃破し勝利した。畠山勢の名だたる国人は討死して、壊滅状態となった。その後、長慶は河内国、和泉国を完全に勢力下におき、畿内の旧勢力の抵抗を排除することに成功。大和国、紀伊国へも勢力を浸透させることになる。
1550(天文19)年6月、大和一国を武略で平定した筒井順昭は28歳の若さで病死し、2歳の遺児・順慶が一門・家臣に支えられる形で筒井氏当主となります。 畿内では前年に筒井氏と友好関係にある三好長慶が、元の主である細川晴元と足利義晴、義輝父子を京都から追い出し、細川氏綱を細川京兆家当主と仰ぐ三好政権を樹立して、近江に逃れた晴元、足利将軍と対峙していました。 大和と関係の深い畠山氏が拠る河内では、実権を握る守護代・遊佐長教と守護・畠山政国が江口の戦い後に対立が起こり、政国は紀伊国宮原(現和歌山県有田市)へ逼塞。長教が事実上の河内国主となります。 筒井氏は当主が幼年ながら、周囲を友好勢力に囲まれてい…
当ブログでは鎌倉時代から江戸時代までの大和武士たちの活躍や動向を、当時の畿内史と関連付けながら21回にわたって「大和武士の興亡」として奈良の戦国史を詳しく紹介しました。 今回は奈良の戦国史について切り口を変え、戦国の大和で活躍した大和武士の一族たちに焦点を当てて、ご紹介していきます。 最初にご紹介する大和武士の一族は、戦国末期に大和国の覇権を握って近世大名へと躍進することになる筒井氏です。 筒井氏の出自 筒井氏歴代 順覚(南北朝~室町初期) 成身院光宣と順弘、順永(河上五ヶ関を巡る抗争と応仁の乱) 順尊、順賢(筒井氏の没落と大和復帰) 順興(筒井氏の戦国大名化) 順昭(大和を武力統一した最初の…
…ゴゴゴゴゴゴゴゴゴーーーールデンウィークぅぅぅ おわっちゃったあああもくぅぅぅ 。・゚゚・( pзq )エ-ン・゚゚・。 でもでもでもでも お楽しみはこれからもく <(ゝε・o)/ こんにちはー のろしもくー 戦国IXA では 5月 の 追加武将 が 公開されました もく 追加されるのは 【 極 】三好義賢さん 鬼庭綱元さん 大久保忠世さん 豪姫さん 【 特 】竹中重門さん 畠山高政さん 宗義調さん 【 上 】松永長頼さん 【 序 】内藤興盛さん 以上の 9 名 ------------------------------------------------------------- 大久保…
1559(永禄2)年8月、将軍・足利義輝をも凌駕する権勢を誇った三好長慶は、河内守護・畠山高政と安見宗房の対立による河内国内の内訌に介入。守護・高政方に付いて、安見宗房を大和へ駆逐しました。 さらに安見宗房追討を名目として、長慶は重臣・松永久秀を大和へ派遣し、宗房と同盟関係にあった筒井氏とその傘下国人たちへの侵攻を開始します。 その後、近江守護・六角氏と河内守護・畠山氏と対立するようになった三好氏は、南北から両氏の攻撃を受けて一時苦境に陥りますが、1562(永禄5)年の教興寺の戦いに大勝利して河内を支配下に収め、一時的に揺らいだ大和の支配も回復。 筒井党の主要国人であった井戸氏や、古くからの有…