以上二つは誰しも其の可能を、教理的に会得出来るとしても、今一つ死なずと云う事は容易に分からん事なのであります。それは世界の心が澄んで、甘露台が置かれたならば、人間の定命が百十五才に定められると云う事は、聞いて居ります。又それから先は心次第で、三百九十歳まで置いてやると仰せられた事も聞いて居りますが、よし三百九十歳まで生きて居た所で、最後には死なねばならぬのであります。左様すると死なずと仰せられた事が、分からぬ事になって来るのであります。 所が御教祖は此の死なずと云う事については、生き通しの理と云うのをお説きになって居ります。生き通しとは一人の人が未だ生きて居るのに、其の人が他の人の腹から生まれ…