2025年2月24日 藤代 江戸初期の水戸街道は我孫子宿口を抜け、東へ進むと約10km先の布佐で利根川を渡り、対岸の布川から北上して若柴宿へ向かっていました。この頃は利根川、鬼怒川、小貝川をはじめとする河川の整備が進められ、それにより、取手から藤代にかけての小貝川によって造られた湿地帯の水位も下がり、陸路の整備も進められました。そして、天和2年(1682年)に水戸街道は、我孫子宿から取手宿、藤代宿を通って若柴宿へ向かう最短ルートに付け替えられました。 取手宿の先、吉田地区の町並みを抜けて田んぼの中の直線道を歩くこと45分で、ようやく、藤代駅付近でしょうか、マンションや家並みが見えてきました。