国道6号線の別名。
墨田区向島(言問橋東詰)から水戸市を結ぶ道として設置。日本橋〜言問橋西詰間は「江戸通り」であり、「国道6号線」ではあるが厳密には水戸街道ではない。
実際には「日光街道の付属街道」的な位置付けであるが、江戸時代に水戸徳川家が江戸に登城するために整備されたといわれ、五街道に次ぐ重要な街道と考えられていた。明治年間に「陸前浜街道*1」という名も付けられた。
*1:千住駅より常陸国水戸を経て陸前国岩沼に至る道筋の意。それ以前の水戸以北は「岩城相馬街道」と呼ばれていた。
2025年2月24日 文巻橋 水戸街道は茨城県に入り、取手宿、藤代宿を通り、藤代宿(宮和田宿)の東端にある小貝川岸までやってきました。対岸は常陸国になります。往時の旅人は宮和田の渡しから小貝川を舟で渡っていましたが、現代の旅人は少し上流の県道208号が通る文巻橋で渡ります。 かつて渡し場があったと思われる付近の土手上から、県道に向かって歩きます。文巻橋は左側にしか歩道がありませんが、橋の袂の信号で県道の反対側に渡ることができます。
2025年2月24日 藤代 江戸初期の水戸街道は我孫子宿口を抜け、東へ進むと約10km先の布佐で利根川を渡り、対岸の布川から北上して若柴宿へ向かっていました。この頃は利根川、鬼怒川、小貝川をはじめとする河川の整備が進められ、それにより、取手から藤代にかけての小貝川によって造られた湿地帯の水位も下がり、陸路の整備も進められました。そして、天和2年(1682年)に水戸街道は、我孫子宿から取手宿、藤代宿を通って若柴宿へ向かう最短ルートに付け替えられました。 取手宿の先、吉田地区の町並みを抜けて田んぼの中の直線道を歩くこと45分で、ようやく、藤代駅付近でしょうか、マンションや家並みが見えてきました。
2025年2月24日 取手宿 9:00に取手駅に着きました。前回、利根川を渡って茨城県に入りましたが、1か月ぶりの取手駅です。天気は快晴で、相変わらず寒い朝です。2月に入り、2度目の「長く、強烈な寒波」が来ています。偏西風の蛇行の影響なのか、日本海の海水温が高いせいなのか、雪国では例年にない大雪を記録して、大変なことになっています。 今回のスタート地点とした取手宿本陣前へ向かうため、9:20に東口から歩き始めます。
令和7年4月8日(火)薄曇り 暖か 4月に入り、暖かくなってきたので、水戸街道の旅を再開します。 天気予報をもとに天気の良い日を選んだつもりですが、どんよりとした感じです。しかし、春らしい穏やかな日となりました。桜も見頃です。 前回は、牛久宿をバスで通過してしまったので、今回は、一旦、牛久宿まで戻って、街道の旅を再開します。 目次 1 牛久宿 2 国道6号線を北上 3 ひたち野うしく 4 荒川沖宿 5 中村宿 6 高津の丘陵地 7 土浦市街地 大町・大手町 8 土浦宿 9 土浦城跡 10 土浦駅前 11 港町方面
2025年1月26日 柴崎 我孫子宿を後にした水戸街道は成田道との追分から北東へ進み、途中、JRの車両基地に行く先を阻まれてしまいますが、我孫子市の水道局の先から、旧道に戻ります。すぐのところには、柴崎神社があります。
2025年1月26日 根戸 水戸街道は大堀川を越えてから、根戸の大坂を上り、台地の上を通ってきました。昔ながらの落ち着いた家並みが残る根戸地区を進むと、水戸街道は右へ大きくカーブします。ここも大曲でしょうか?
2025年1月26日 南柏 常磐線に乗って南柏駅に8:30に到着しました。天気は快晴ですが、今日も冬型の気圧配置でとても寒いです。おまけに風が強く、手がかじかんでカメラを持つのも億劫になります。この冬は晴天の日が多く、例年に比べると雨や雪が少ないような気がします。 8:35に東口から、スタート地点に向けて歩き始めます。
2025年1月11日 二ッ木 国道6号の別称は水戸街道と呼ばれています。ここまで旧水戸街道をトレースしてきましたが、国道6号沿いはさほど歩いておらず、まだ、国道歩きの苦痛は味わっていません。これからでしょうか。 蘇羽鷹(そばたか)神社前の信号で国道6号を横断して、右手の旧道に入ります。分岐には水戸街道の標柱が立っていて、この先で再び国道6号に出る約900mの間は、当時の道形を残していると記されています。
2025年1月11日 松戸宿 前回、千住宿をスタートして水戸街道を東へ歩き、江戸川を越えて松戸宿までやって来ました。今日は松戸駅から水戸街道を歩き始めますが、その前に、水戸藩最後の藩主、徳川昭武が当主の座を退いた後に別邸として住んでいた戸定邸を見学します。 松戸駅に着いたのは9:10過ぎです。天気は快晴ですが、今日も風が冷たいです。9:25に東口から出発します。松戸駅はちょうど駅舎工事の真っ最中です。
2024年12月28日 葛西神社 千住宿で日光街道から分かれて東へ歩き、江戸川のほとりの葛西神社までやって来ました。 葛西神社は元歴2年(1185年)にこの地を治めていた葛西清重が下総国香取神社より勧請したのが始まりです。上葛西、下葛西33郷の総鎮守とされていました。