何が言いたいかというと、映画祭も、放送局も、またいま問題になっている日本学術会議にしても、いわゆる「公共」的な場における表現の自由とか、放送の自由、学問の自由というのは、やはり権力からの自由だと思うのです。 権力の介入をさせずに、純粋に、忖度なく表現をし、きちんと批評をし、学問をする。その私たちの社会の多様性のために私たちは税金を払い、受信料を払い、それによって彼らの自由を担保しているということです。(是枝裕和、ケン・ローチ『家族と社会が壊れるとき』NHK出版新書、2020) こんばんは。朝夕だいぶ寒くなってきたので、今日は実家に帰って車の冬支度をしてきました。毎年この時期に、タイヤ交換を口実…