日本にかつてあった武家(大名家)の役職の1つ。武家の家臣団のうち最高位の役職である。複数人おり合議によって政治や経済の面で大名を補佐した。江戸時代になると、家中の武士を統率する家老(城代家老)の他に幕府の置かれた江戸に各大名が江戸屋敷(旗本屋敷)を置き、そこに在勤した家老を「江戸家老」とか「江戸詰家老」などと呼んだ。基本的には世襲制だった。
元禄14年2月2日。山口道恕と名乗る者がいた。初めは権内と名乗り、熱田に住み、5人扶持であったが死んでしまった。初めは新番小頭で大金持ちであった。昔、権内には妾がおり、その妾が男の子を産んだが、母子ともに対面することはなかった。妾は中川淡路領分の百姓のところへと嫁いでいった。子は山口権内と名乗り、野崎主殿に中小姓として仕えた。道恕が死ぬとこの妾はやって来て、権内の実子だから家財等を受け取りたいと訴えた。また、道恕は死ぬ直前江戸より養子を迎えようとしており、死んだ翌日江戸より養子が到着した。この養子も家財等を受け取りたいと言っていた。また、道恕に長く仕えた家老も家財は自分が受け取りたいと言ってい…