調べものついでに読んでしまった。 ふだん老子と言ってるこの本は、道徳経というのが正しいということは何となく知っていたのだけれど、前半が道教で後半が徳教というのは、初めて知った。 道徳経というからといって、いわゆる道徳について誰何するということでもなく、前半は「道」について語る章が何となく多いので「道教」なのだろうけれど、後半は「徳」について語る章が多いかと言うとそうでもない。 論語もそうだったと思うが、語られた言葉を拾い集めたようなものだから、特に一貫性もなく、ぱらぱらと端的に「道」が語られる。 ここで著書という概念を当てはめてこういった古典を読むと、違和感を感じざるを得ないが、それは近代以降…