将棋棋士。父は詩人・竹内浩三の研究者の小林察。
元長野オリンピックカーリング競技委員長。
アルベールビル五輪でカーリングの日本代表監督を務めた事もある。
自費で1億3000万をかけて、山梨県山中湖村に自費でカーリング場「CurlplexFuji」を建設、オープンさせたり、スケート場・カーリング場の設計・施工、管理・運営などを行う「スポーティングカナダ」社を経営しており、カーリング普及に尽力している。
将来の夢は県内の小中学生を対象に8チーム程度つくり、未来の五輪選手を養成する事。
その理由として、現状の日本のカーリング界に危機感を抱いているため。
「中国、韓国は4年後のバンクーバー五輪でのメダル獲得を目指して長期的な強化に取り組んでいます。すでにジュニアレベルの国際大会では、中国が日本を破るまで力をつけています」と理由を述べている。
これからは「日本は中国、韓国と同じような強化方法をとることはできません。それならば、できるだけたくさんの人が生活に密着した形で競技に親しみ、カーリング文化をつくっていくしか対抗手段はないと思います」と述べている。
現役のカーリング選手でもある。
トリノオリンピックではカーリング競技の中継の全試合を解説した。次のバンクーバーオリンピックでもカーリング競技の解説を行った。
冷静な分析と初心者でも理解しやすい偏りや贔屓の無い解説やカーリングの普及を願う熱いコメント*1が、カーリング女子日本代表の健闘と共に、カーリングという競技に注目が集まった要因である。
*1:コメントの中での「流れ」の発音が独特で、萩原流行の「流行」の部分の発音と非常に似ている。
千葉ロッテ・小林宏之投手の球場・新聞等での表記名。
プロ野球選手、解説者・指導者。
1970年11月30日生まれ。広島県出身。ポジションは投手。右投右打。
1995年のヤクルトスワローズとの日本シリーズ第4戦では、トーマス・オマリーを14球の勝負の末に三振にとるなど、粘りの投球でチーム唯一の勝利を上げる。
1999年、2000年と2年連続で開幕投手を務めた。
2005年に現役引退し翌年より解説者に転身。マスターズリーグ・大阪ロマンズに入団。2009年から古巣のオリックス・バファローズの投手コーチに就任し現場復帰。
年度 | 所属 | 背番号 | 備考 |
---|---|---|---|
1986〜1988 | 崇徳高校 | - | 甲子園出場なし |
1989〜1992 | 広島経済大学 | - | |
1993〜2004 | オリックス・ブルーウェーブ | 22 | 1993年ドラフト1位 |
2005 | 東北楽天ゴールデンイーグルス | 12 | 分配ドラフト |