今回は新しく発見したものもあるので、以前発見したものと合わせて文京区の旧町名 「大塚坂下町」を紹介しよう。 最初に紹介するのは「東京市小石川區」時代の戦前のものだ。 ①東京市小石川區大塚坂下町百七拾番地 発見日 2021年2月23日 発見場所 東京都文京区大塚五丁目 ②東京都文京区大塚坂下町96番地 発見日 2022年8月21日 発見場所 東京都文京区大塚六丁目 住所の坂、下の一部、町、96、地、4が消されている。 でも坂下町と読める。 下の一部を消したのは、「丁」に見えるようにしたのかな。 「プリンスビル」、「PRiNCE BiLL」は手書き文字のよう。 ③大塚坂下町一六九 発見日 2022…
今回で最後の2021年10月15日シリーズである。 「みかとパン」を後にして、今度は文京区で旧「同心町」が発見されたとの情報を見て、探索を行った。 この旧町名案内を頼りにして、全域を歩いたはずなのだが、見つからなかった。 旧町名探しのベテランと初心者の差だろうか。まだまだ自分の目は節穴なのか。更に探索道を究める必要があるようだ。リベンジを誓って、帰途に着く。ではない、これで終わりではない。 今(2021年10月17日)記事を書きながら、ネットで調べていたら、設置されている建物の写真が掲載されていた。あの建物だ、見覚えがある、あそこにあったんだ。見つけられないとは・・・。やはり、自分はまだ修行が…
江戸の侍・村尾正靖(1760-1841、号は嘉陵)の江戸近郊日帰り旅の道筋を辿るシリーズ。久々の今回は今の文京区から新宿区にかけて桜の季節に歩いた話。 「文政三年辰の弥生十日、小日向はとり坂の上に、道栄寺といふてらあり、その庭に、よき花ありと聞て、とみにおもひたちて、行てみる、げにも人のいふにたがはざりけり」 文政三年三月十日は今の暦で1820年4月22日。「小日向はとり坂」は文京区小日向にある服部坂である(現代語訳の『江戸近郊道しるべ』で「小日向の鳥坂」となっているのは誤り)。「よき花」の「花」とは言うまでもなく桜のことである。 当時、数えで六十一歳の嘉陵は浜町の家に住んでいて、小日向までの…
はじめに この記事を、100年前、我が国の有史史上最悪とも呼ばれる自然災害に直面した、全ての人々に捧げます。 前回の記事は横網町公園の歴史について紹介していきました。ここからは、横網町公園の整備方針に深い関係がある関東大震災に焦点を当てたいと思います。 今までの記事で述べた通り、横網町公園が整備される前、被服廠跡と呼ばれた更地に避難していた約38,000人もの人々が火災により亡くなっています。なぜこれほどまでに甚大な被害となってしまったのか、調べられる範囲で確認していきたいと思います。