今週のお題「人生最大のピンチ」戦時中は毎日だろう。あと2ヶ月 早く戦争が終わっていれば、母方の叔父 2名は 撃墜されなかったかも 知れない。もうすぐ 終戦記念日、形見の金の盃を磨いて、戦死した 南西方向の空に 手を合わせようか。そのうち 3男の叔父は満州(中国)から帰国出来た。酒を飲んで 笑顔で語っていたのが印象的で、「生きて帰ったのが 申し訳なく 公園で 寝起きしていた」と言うのも 父が残した日記を読んでみれば、当時の教育が「国の為に死ぬ」「小学校を出れば少年飛行兵」学校でそう教わっていたのだな。 もっとも叔父(3男)が生きていなければ、まだ 10歳だった 母の拠り所はなく(既に両親も死亡)…