フリージャーナリスト。 昭和17年5月5日中国・南京生まれ 慶応大学経済学部卒業後、 毎日新聞社入社。 毎日新聞社経済部にて国内外の経済ニュースを取材。 昭和56年ワシントン特派員を経て昭和62年毎日新聞社退社、フリージャーナリストとなる。 TBSテレビ「ブロードキャスター」のコメンテーター 「筑紫哲也NEWS23」などにも出演。 このほか雑誌「財界」「Voice」などに連載中
今日8月15日は終戦記念日。 ソ連軍に満州から連行された日本人捕虜のシベリア抑留については知られているが、当時、ソ連領だった遠い中央アジアへ連れていかれた部隊については、日本でも知らない人が多いのではないだろうか。 私がこの夏訪れたウズベキスタンには日本人約25,000名が、当時のソ連ウズベク共和国に移送され、各地で強制労働に従事させらた。過酷な労働により抑留中になくなった方は1008名とされ、ウズベキスタン各地の日本人墓地に埋葬されている。 過酷な抑留生活の中、ソ連四代大劇場の一つナボイ劇場の建設に関わった部隊もあった。彼らに関しては、嶌信彦氏の著書『伝説となった日本兵捕虜』に詳しく語られて…
シベリア抑留 ソビエト連邦日本軍民間人 舞鶴港に上陸する、抑留からの帰還兵(1946年) シベリア抑留(シベリアよくりゅう)は、第二次世界大戦の終戦後、武装解除され投降した日本軍捕虜や民間人らが、ソビエト連邦(ソ連)によってシベリアなどソ連各地やソ連の衛星国モンゴル人民共和国などへ労働力として連行され、長期にわたる抑留生活と奴隷的強制労働により多数の人的被害を生じたことに対する、日本側の呼称である。男性が多いが女性も抑留されている[1]。 ソ連対日参戦によってソ連軍に占領された満州、朝鮮半島北部、南樺太、千島列島で戦後にかけて抑留された日本人は約57万5千人に上る[2]。厳寒環境下で満足な食事…
二宮和也『ラーゲリより愛を込めて』から元捕虜収容所長を祖父に持つ私が知ったこと 語られなかった「シベリア抑留の記憶」 小暮 聡子 「ニューズウィーク日本版」記者/編集者 gendai.media 81年前の1941年12月8日未明(日本時間)、日本軍がハワイ・真珠湾を攻撃して太平洋戦争に突入した。そして、1945年8月15日に日本が敗戦。1931年の満州事変を起点とすれば足掛け15年におよぶ戦争が終結したわけだが、一部の日本人にとっては、この日を境に「戦後」とはならなかった。満州や朝鮮半島、樺太、千島などにいた日本の軍人や民間人など約60万人がソ連軍の捕虜として旧ソ連領に連れ去られ、数年にわた…
7月31日、8月7日(日)のTBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』(21:30~)はウエカツ水産代表で魚の伝道師の上田勝彦氏をお迎えします。 昨日(7月31日)は、物心ついたときから魚好きで、大学の水産学部に在学中から漁師に憧れ、シイラ漁船に乗り込み漁師としての活動を始める。大学卒業後は漁師の道に進もうとするが、なぜか水産庁に入庁、水産庁の官僚を経て50歳で退庁後、魚の伝道師として起業するまでにつき伺いました。 音源はradikoにて日曜までお聞きいただけます。 次週(8月7日)も引き続き上田氏をお迎えし、水産庁の官僚を経て退庁後、魚食文化の普及を独自に行う会社ウエカツ水産を起業。ある…
今日は引き続き「新・学生時代に何を学ぶべきか」から紹介します。 まず嶌信彦さん。 硬派学生を意識してすごした学生時代に得たものは、煎じつめると、物事を考える〝方法論〟を学んだことにつきるように思う。事態の本質をみる力や生き方の原則、バランス感覚の重要さ、そして友人との助けあいなどだ。 (嶌信彦「学生運動、新聞、中国……」、p.157) 硬派というのは現存しているのでしょうか。学生運動というのも絶滅危惧種的な感じがしますが、嶌さんの場合、講義で学んだことではなく、それ以外のことが実っているという点が面白いです。 私自身振り返ってみても、学科の講義とは無関係のサークルで議論したことが意識を激変させ…
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