島津家の「小返しの五本鑓」について、紹介してみる。 慶長5年(1600年)9月15日、美濃国関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)で合戦があった。徳川家康が率いる東軍が、反徳川方の西軍を破る。 島津義弘(しまづよしひろ)は西軍に参加し、敗軍の将となる。戦況が決したとき、島津義弘の部隊は戦場の真っただ中にあった。島津隊は前方に向かって退却を敢行。徳川家康本陣の前をかすめ、激しい追撃を振り切り、戦場を離脱した。「島津の退き口」である。 徳川方の猛追を撃退した5人の将があった。撤退戦(島津の退き口)の殊勲者として「小返しの五本鑓」と讃えられる。 その顔ぶれはつぎのとおり。 川上忠兄(かわかみだだえ)・川上久…