平林たい子

平林たい子

(読書)
ひらばやしたいこ

作家。女流文学者(死語)の第一人者として、長らく君臨。
1905年(明治38年)10月3日、長野県諏訪郡中洲村生まれ。1922年(大正11年)3月、諏訪高等女学校卒業。
1927年(昭和2年)3月、「喪章を売る」が「大阪朝日新聞」三大懸賞文芸短編小説部門に当選。
1947年(昭和22年)3月、日本文芸家協会理事になる。4月、「こういう女」で第一回女流文学者賞受賞。
1955年(昭和30年)10月、日本社会党に入党。1957年(昭和32年)1月、女流文学者会会長に就任。1959年(昭和34年)11月、日本社会党へ離党届を提出。1961年(昭和36年)2月、女流文学賞銓衡委員になる。
1964年(昭和39年)1月、国語審議会委員に就任。8月、日本ユネスコ国内委員会委員に就任。1967年(昭和42年)7月、中央教育審議会委員、公安審査委員会委員に就任。
1968年(昭和43年)「秘密」により第七回女流文学賞を受賞。
1972年(昭和47年)2月17日、心不全により死去。6月、芸術院恩賜賞受賞 。

彼女は非常に嫉妬深い人で、昭和30年代に松本清張の活躍ぶりに
対して韓国の雑誌【思想界】であたかも他人が作品を作っているかのように
喋ったところ、それが松本当人に知れ、痛烈な反撃を食らっていた。
又、平林たい子は、幕末から明治の初めにかけて来日した有名西洋人に
対する中傷もやっていた。例えばフェリス女学院創設者に対しても、で
あった。

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