清正は、5月25日付の朱印状の11日後、つまり当時の交通・通信事情からいえば「ただちに」本文書を発給している。しかも朱印状をそのままなぞっているのではなく、現地の状況に即し清正なりに咀嚼している点でも興味深い。なお本文書名を「下知状」と呼ぶのは書止文言が「仍下知如件」とあることによる。 定 ①一、国中一揆起候といへ共、去年之儀者平百性之分被成御免御検地被仰付上*1ハ、如前〻罷直*2耕作等無如在*3可仕事、 ②一、平百性一揆御赦免之上ハたがひ*4之諸道具*5取散候共*6、いしゆ*7いこん*8有間敷候、若此旨相背候者於在之者、至隈本*9ニ可申越事、 ③一、国中麦年貢之儀、御検地之上を以三分二召置、…