愛も悔いも書き残す 8年ほど前に投稿したものを手直しして投稿します。 「聖書語」 前に、解釈信仰、神秘信仰、史実信仰、奇跡信仰、といった言葉を用いましたが、それらはいずれも人が解釈したことを神として信仰するのはおかしいという批判でした。ゆえに人の解釈を通しているので、一括して解釈信仰と呼んでよさそうに思えます。 しかもそれらは解釈した文章的なものだけではなく、すり込まれた観念か体質か習性のように染みついてきます。そこから外れると条件反射のように拒否反応が起こりやすくなっているようです。・・「言っちゃいけない」「聞いちゃいけない」の潜在意識 ? ・・ 「聖書語」というものについて前に書きましたが…