初期キリスト教に大きな(あるいは決定的な)役割を果たした伝道者の一人。 当初はパリサイ派ユダヤ教徒としてキリスト教を迫害する側に立っていたが、ダマスカス街道の道中で目から鱗のようなものが落ち、それと前後して回心しキリスト者となったという(省略形)。 ローマ市民権を有するパウロの活動と教義の事実上の再定義とによって、キリスト教は単なるユダヤ教の分派から後の世界宗教へと進みはじめることになる。
こんにちは。 たるんでいる。(´・ω・`) ちょっと無理して動くと微熱が出たりする、というのを口実に、出歩く機会を極限まで減らしているから、またじわじわと体力が落ちている。 もう一度、気持ちを入れ替えてリハビリしないと、10年後には寝たきりになりそうだ。いやその前に、体力無くして寿命が尽きるかもしれない。ちょっとした風邪とかで、コロッと。🪦 (お墓の絵文字なんて、あるんだ…) 病気をいろいろ抱えているとはいえ、きちんと合理的に健康維持の努力をすれば、それなりに生きられるはずなのだ。 意欲、なんとか取り戻そう。 (_ _).。o○ 備忘録。 今週日曜日の教会学校は、どうにも身体がしんどくてお休み…
『9:22 しかし、サウロはますます力を増し、イエスがキリストであることを証明して、ダマスコに住むユダヤ人たちをうろたえさせた。9:23 かなりの日数がたち、ユダヤ人たちはサウロを殺す相談をしたが、9:24 彼らの陰謀はサウロの知るところとなった。彼らはサウロを殺そうと、昼も夜も町の門を見張っていた。9:25 そこで、彼の弟子たちは夜の間に彼を連れ出し、籠に乗せて町の城壁伝いにつり降ろした。9:26 エルサレムに着いて、サウロは弟子たちの仲間に入ろうと試みたが、みな、彼が弟子であるとは信じず、彼を恐れていた。9:27 しかし、バルナバはサウロを引き受けて、使徒たちのところに連れて行き、彼がダマ…
『9:1 さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅かして殺害しようと息巻き、大祭司のところに行って、9:2 ダマスコの諸会堂宛ての手紙を求めた。それは、この道の者であれば男でも女でも見つけ出し、縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。9:3 ところが、サウロが道を進んでダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。9:4 彼は地に倒れて、自分に語りかける声を聞いた。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」9:5 彼が「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。9:6 立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あ…
福田復彦 グローバルパーソンの歴史的グローバリズム、ローマ街道とは何か。 地図も存在しなかったであろう2000年以上前のローマ人たちはローマ帝国いう巨大国家を統合し、ローマに結び付けていたのはローマ街道だと思います。 ローマ時代にすべての道はローマに通ず、と言われるほどローマの街道は発達していました。本格的なローマ街道は紀元前321年のアッピア街道建設が始まりと言われています。それ以前にも塩の道のようなものが存在していました。ローマ街道が必要になった主な理由は軍隊の迅速な移動のためでした。ローマ最盛期には約32万キロあったと言われます。紀元1世紀ころには総延長15万キロメートルが建設され、その…
『5:33 これを聞いて、彼らは怒り狂い、使徒たちを殺そうと考えた。5:34 ところが、民全体に尊敬されている律法の教師で、ガマリエルというパリサイ人が議場に立ち、使徒たちをしばらく外に出すように命じ、5:35 それから議員たちに向かってこう言った。「イスラエルの皆さん、この者たちをどう扱うか、よく気をつけてください。5:36 先ごろテウダが立ち上がって、自分を何か偉い者のように言い、彼に従った男の数が四百人ほどになりました。しかし彼は殺され、従った者たちはみな散らされて、跡形もなくなりました。5:37 彼の後、住民登録の時に、ガリラヤ人のユダが立ち上がり、民をそそのかして反乱を起こしましたが…
サウロの回心の記事の続きを読んだ。今まで何度ここを読んだかわからない。しかし、今回は不思議なことが起こった。パウロ(=サウロ)自身の身の上に起きたことにはほとんど私の関心が向かなかったのだ。 その代わりに、神様とアナニアのやり取りに非常な緊迫感を覚え、そこがリアルに心に迫って来たのだ。 また9:26には、パウロがエルサレムの弟子たちの仲間に入ろうとしたが、彼らがパウロを信ぜず、恐れて、仲間に入れようとしなかったことが記されている。そこに登場したのがバルナバである。 「しかし、バルナバはサウロを引き受けて、使徒たちのところに連れて行き……」(9:27)とある。あぁ、なんと美しい一句よ! キリスト…
『4:32 さて、信じた大勢の人々は心と思いを一つにして、だれ一人自分が所有しているものを自分のものと言わず、すべてを共有していた。4:33 使徒たちは、主イエスの復活を大きな力をもって証しし、大きな恵みが彼ら全員の上にあった。4:34 彼らの中には、一人も乏しい者がいなかった。地所や家を所有している者はみな、それを売り、その代金を持って来て、4:35 使徒たちの足もとに置いた。その金が、必要に応じてそれぞれに分け与えられたのであった。4:36 キプロス生まれのレビ人で、使徒たちにバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、4:37 所有していた畑を売り、その代金を持って来て、使徒たち…
罪を制すること、悔い改めること、父なる神とキリスト・イエスを愛し、信じること、兄弟と隣人を愛すること、イエスに従うこと、教えること、宣教すること等です。 これらは、人間の側から見れば、すべて人間が主に対する愛と信仰によって行うことです。 神の側から見れば、すべて神が恵みによって与えたものです。 愛の神、信じる人間の両方が必要であり、どちらか片方が欠けた場合、上記は成立しません。 気づかれましたか? イエスをキリストだと信じた人は、人間が信仰によって罪を制するのです。上記に書かれていることをまず人間が信仰によって行う。 人間が汚れたものから離れるのです。人間が悔い改めるのです。人間が愛するのです…
こうして、わたしたちはローマに やってきた。使徒28・14 イスラエルで始まったキリスト教を、トルコからヨーロッパ方面に布教したのがパウロという人でした。パウロは三回にわたってトルコやギリシア方面に旅をして、多くの人々にキリストを伝えました。聖書の時代、地中海地域はローマが支配していました。パウロはローマにも行き、その後にスペインに足を伸ばしたいとまで思っていました。 この願いは、神様の想いと一致します。そして、旅ではなく、ローマ皇帝への上訴のために、ローマに移送されることで、願いはかないます。しかしそこに至るまでには、ユダヤ人たちによる不当な起訴、ローマ総督たちの不正な裁判、船で移送中にあっ…
みなさん、元気を出しなさい。私は神を信じています。使徒の働き27・25 みなさんは神様を信じたらどんな良いことがあると思われますか。 「神様が苦しい時に助けてくれること」「お願いしたら欲しい物を与えてくれること」「危険から守ってくれること」「幸せになれること」など、いろいろな期待があると思います。信者からよく聞くのは「神様は平安を与えてくださる」ということばです。平安というのは教会独特のことばですが、要は安心や、心の平和のことです。「心配なことがあっても、神様がいてくれるから安心だ」と思えるなら、神様を信じたかいがあるでしょう。 でもそれだけではありません。神様を信じると「神様から受けたものを…