初期キリスト教に大きな(あるいは決定的な)役割を果たした伝道者の一人。 当初はパリサイ派ユダヤ教徒としてキリスト教を迫害する側に立っていたが、ダマスカス街道の道中で目から鱗のようなものが落ち、それと前後して回心しキリスト者となったという(省略形)。 ローマ市民権を有するパウロの活動と教義の事実上の再定義とによって、キリスト教は単なるユダヤ教の分派から後の世界宗教へと進みはじめることになる。
福田復彦 グローバルパーソンの歴史的グローバリズム、ローマ街道とは何か。 地図も存在しなかったであろう2000年以上前のローマ人たちはローマ帝国いう巨大国家を統合し、ローマに結び付けていたのはローマ街道だと思います。 ローマ時代にすべての道はローマに通ず、と言われるほどローマの街道は発達していました。本格的なローマ街道は紀元前321年のアッピア街道建設が始まりと言われています。それ以前にも塩の道のようなものが存在していました。ローマ街道が必要になった主な理由は軍隊の迅速な移動のためでした。ローマ最盛期には約32万キロあったと言われます。紀元1世紀ころには総延長15万キロメートルが建設され、その…
『5:33 これを聞いて、彼らは怒り狂い、使徒たちを殺そうと考えた。5:34 ところが、民全体に尊敬されている律法の教師で、ガマリエルというパリサイ人が議場に立ち、使徒たちをしばらく外に出すように命じ、5:35 それから議員たちに向かってこう言った。「イスラエルの皆さん、この者たちをどう扱うか、よく気をつけてください。5:36 先ごろテウダが立ち上がって、自分を何か偉い者のように言い、彼に従った男の数が四百人ほどになりました。しかし彼は殺され、従った者たちはみな散らされて、跡形もなくなりました。5:37 彼の後、住民登録の時に、ガリラヤ人のユダが立ち上がり、民をそそのかして反乱を起こしましたが…
サウロの回心の記事の続きを読んだ。今まで何度ここを読んだかわからない。しかし、今回は不思議なことが起こった。パウロ(=サウロ)自身の身の上に起きたことにはほとんど私の関心が向かなかったのだ。 その代わりに、神様とアナニアのやり取りに非常な緊迫感を覚え、そこがリアルに心に迫って来たのだ。 また9:26には、パウロがエルサレムの弟子たちの仲間に入ろうとしたが、彼らがパウロを信ぜず、恐れて、仲間に入れようとしなかったことが記されている。そこに登場したのがバルナバである。 「しかし、バルナバはサウロを引き受けて、使徒たちのところに連れて行き……」(9:27)とある。あぁ、なんと美しい一句よ! キリスト…
『4:32 さて、信じた大勢の人々は心と思いを一つにして、だれ一人自分が所有しているものを自分のものと言わず、すべてを共有していた。4:33 使徒たちは、主イエスの復活を大きな力をもって証しし、大きな恵みが彼ら全員の上にあった。4:34 彼らの中には、一人も乏しい者がいなかった。地所や家を所有している者はみな、それを売り、その代金を持って来て、4:35 使徒たちの足もとに置いた。その金が、必要に応じてそれぞれに分け与えられたのであった。4:36 キプロス生まれのレビ人で、使徒たちにバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、4:37 所有していた畑を売り、その代金を持って来て、使徒たち…
罪を制すること、悔い改めること、父なる神とキリスト・イエスを愛し、信じること、兄弟と隣人を愛すること、イエスに従うこと、教えること、宣教すること等です。 これらは、人間の側から見れば、すべて人間が主に対する愛と信仰によって行うことです。 神の側から見れば、すべて神が恵みによって与えたものです。 愛の神、信じる人間の両方が必要であり、どちらか片方が欠けた場合、上記は成立しません。 気づかれましたか? イエスをキリストだと信じた人は、人間が信仰によって罪を制するのです。上記に書かれていることをまず人間が信仰によって行う。 人間が汚れたものから離れるのです。人間が悔い改めるのです。人間が愛するのです…
こうして、わたしたちはローマに やってきた。使徒28・14 イスラエルで始まったキリスト教を、トルコからヨーロッパ方面に布教したのがパウロという人でした。パウロは三回にわたってトルコやギリシア方面に旅をして、多くの人々にキリストを伝えました。聖書の時代、地中海地域はローマが支配していました。パウロはローマにも行き、その後にスペインに足を伸ばしたいとまで思っていました。 この願いは、神様の想いと一致します。そして、旅ではなく、ローマ皇帝への上訴のために、ローマに移送されることで、願いはかないます。しかしそこに至るまでには、ユダヤ人たちによる不当な起訴、ローマ総督たちの不正な裁判、船で移送中にあっ…
みなさん、元気を出しなさい。私は神を信じています。使徒の働き27・25 みなさんは神様を信じたらどんな良いことがあると思われますか。 「神様が苦しい時に助けてくれること」「お願いしたら欲しい物を与えてくれること」「危険から守ってくれること」「幸せになれること」など、いろいろな期待があると思います。信者からよく聞くのは「神様は平安を与えてくださる」ということばです。平安というのは教会独特のことばですが、要は安心や、心の平和のことです。「心配なことがあっても、神様がいてくれるから安心だ」と思えるなら、神様を信じたかいがあるでしょう。 でもそれだけではありません。神様を信じると「神様から受けたものを…
キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから。(ローマの信徒への手紙1章1節) ローマの信徒への手紙の冒頭で、書き手である使徒パウロは宛先であるローマ教会の信徒たちに自己紹介をしています。パウロは自分のことを「キリスト・イエスの僕」と呼びます。「僕」とは「奴隷」です。金銭で売買され、自由はなく、主人の持ち物、道具と見なされ、生かされるも殺されるも主人の自由である人間です。あらゆる人間の身分のなかで、これほどに悲しく、惨めなものがあるでしょうか。 奴隷という言葉が文字どおりの意味ではなく、たとえとして語られることもあります。他人に支配されている人も奴隷と呼ばれ…
私が願っているのは、あなたばかりではなく今日私の話を聞いておられる方々が、この鎖は別として、みな私のようになってくださることです。使徒26・2 パウロはユダヤ人たちの訴えにより裁判にかけられますが、だれもパウロの犯罪を認めることはできませんでした。訴えの内容はユダヤ人の宗教問題であり、ローマの法律とは関係なかったからです。しかしこの話に若干の興味を持ったアグリッパ王(ユダヤの領主)がローマ総督フェストゥスの計らいで、パウロの話を聞く機会を得ます。 パウロはかつてはキリスト教徒たちを迫害していたが、イエス・キリストの声を聞き、キリストの十字架と復活を伝える者に変えられたという体験談を語ります。ア…
私は、ユダヤ人の律法に対しても、宮に対しても、カエサルにたいしても、何の罪も犯してはいません。使徒25・8 パウロは初期のキリスト教会の中で、特にユダヤ人以外の人たちにキリストの教えを布教したことで有名です。当時のユダヤ人たちから見ると、キリストの教えはユダヤ教の異端であり、敵でした。ユダヤ人の宗教指導者たちは、パウロがキリストの教えをトルコ、ギリシア地方に広めたことが許せませんでした。 パウロはまずユダヤ人の最高法院で吊し上げられ、次にユダヤ総督のもとで裁判を受け、カエサル(ローマ皇帝)に上訴することになります。前ユダヤ総督であったフェリクスも、後任者のフェストゥスも、パウロが無罪であると分…