都営バスを池之端一丁目で下車し、生憎の雨曇りの中、不忍池辯天堂に向かいます。 「不忍池」の名は、弁天島に建つ石碑によれば、かつて上野台地と本郷台地(向ヶ岡)の間の地名が忍ヶ丘(しのぶがおか)と呼ばれていたことに由来すると書かれています。 ただし、異説もあって、周囲に笹が多く茂っていたことから篠輪津(しのわづ)が転じて不忍になったという説(『新編武蔵風土記稿』『神代余波』)、ここで男女が忍んで逢っていたからという説(『望海毎談』)や、上野台地が忍が岡と呼ばれていたことにたいして不忍池と命名された説(『江戸妙子』『江戸名所図絵』)もあります。 15世紀頃には既に「不忍池」という名で呼ばれていました…