道徳とは共同体のルールである。しかも、そこでの善悪の基準は、時代によって変化し、多数派の価値観や特定のイデオロギーが力を得たりする。時に恣意的でさえある。合理的・合法的判断より情緒的判断が優先される場合も少なくない。 ここから引き出すことのできる仮説的な結論は、自粛の氾濫は、このように政府の役割を道徳の世界に引き込んでしまったのではないか、という推論である。遠回しの命令を道徳的な空間で通用する自粛に代替することで発揮された(曖昧な)権力の行使である。それゆえ責任の主体はおぼろげになる。(苅谷剛彦『思考停止社会ニッポン』中公新書ラクレ、2022) おはようございます。オックスフォード大教授の苅谷…