しかしながら新都の建設は少しずつ進んでいった。 六月九日起工の式、八月十日|上棟《じょうとう》の式、 十一月十三日遷幸と定められ、 人々も多少はゆとりをもってきた。 福原にどうやら新都らしいおもかげが出てきたが、 凶変の重なった夏もすでに過ぎ、秋はすでに半ばである。 人々は仲秋の月に心を慰めた。 福原の新都に落ちついた公卿たちは月見に出かけた。 かねて名所といわれたところや、 そのかみの源氏の宮を慕って人々は須磨から明石へ浦づたいに赴いた。 白浦《しらら》、吹上《ふきあげ》、 和歌の浦、住吉、難波、など景勝の地に月を賞ずるものもあれば、 尾上《おのえ》の曙の月を惜しむものもいた。 もとの都、京…