哲学的思考による倫理の構築は、まず自己とは何かを知ろうとする所から始まります。自己の定義を間違うと、構築する倫理もメチャクチャになるので、ここが一番重要な所なんですよね。 西洋哲学は自己を動物ではなく、造物主・唯一神に最も近い崇高な存在と定義してしまった為、迷走に迷走を重ねています。古代インドも似たような間違いをして、枝葉の部分にこだわる病的な文化を形成してしまいました。 古代中国の老荘思想と、インド発祥の仏教哲学は、原点回帰を目指す「引き算の美学」であり、西洋哲学とは真逆のベクトルです。これらの思想哲学は日本古来の山岳信仰や古神道と相性が良かったので、聖徳太子が上手く取り込んで一つに纏めまし…