プロ野球において、投手を各分担ごとに分業する制度。
先発投手とリリーフ投手に大別され、リリーフ投手は中継ぎ投手、抑え投手に細分される。
1960年代前半まで、投手は先発完投型である事が定着しており、
選手枠の拡大や、連投による酷使などで投手が故障するなど、様々な問題が生じた。
1960年代、中日ドラゴンズの投手コーチであった近藤貞雄は、エース投手であった権藤博を多用。
その姿は「権藤、権藤、雨、権藤、雨、雨、権藤、雨、権藤」と称され、選手生命を縮ませた。
この経験を省みた近藤は、権藤と共に投手の柱であった板東英二をリリーフ専門投手として起用。
以後、先発投手とリリーフ投手の分業体系が確立し、現在の投手を起用する方法に影響を与えた。
また、日本球界において、救援投手の記録であるセーブの導入にも拍車をかけた。
1980年代には、先発投手のローテーションが等間隔になり、リリーフ投手の分業化が進んだ。
中継ぎ投手(セットアッパー)と抑え(クローザー)に細分化され、現在に至る。