ある極限の想像をしてみた。仮に、死刑囚が男女合わせて1万人存在し、近く死刑が執行されることが決まっていたとする。だが突然の出来事により、地球上に善良な市民がたった一人しかいなくなった状態となってしまったとしたら――この状況では、たとえ死刑囚であっても死刑の執行はできなくなる。 なぜなら、仮に死刑を実行してしまえば人類は滅亡してしまうからだ。ここに、私は“組織の論理”というものの原型を見る。 個人が多少犠牲になっても、それによって「組織が守られる」「全体が維持される」のであれば、それが正しいとされる――今の社会には、そんな前提が静かに、しかし深く根付いているように思う。 組織を守るという論理。そ…