馬のみならず、ロバにも乗った。 福澤諭吉のことである。 文久二年、エジプト、カイロに於いてであった。 咸臨丸で太平洋を往還してから、およそ一年七ヶ月。福澤は再び洋行の機会に恵まれた。幕府の遣欧使節団に選ばれたのだ。幸運でもあり、実力ででもあったろう。総じて時代の潮流が彼の背中を押していた。 この当時、スエズ運河は未だ開通していない。紅海から地中海へ――中東から欧州世界へ抜けるには、鉄道の便を間に挟む必要がある。スエズからカイロを経てアレキサンドリアの港まで、熱砂の国を汽車でゆくのだ。距離にして百七十一里の旅だった。 その途中、一向はカイロで二晩ばかり脚を留め、先に訪問するべきは英仏どちらであろ…