1902年に生まれ、1974年に没す。父親は英文法学者として名高い斎藤秀三郎。チェロ奏者、指揮者、教育者として多くの業績を残す。とりわけ教育者としては、小澤征爾や若杉弘を輩出する。彼の遺した指揮法は「斎藤メソッド」と呼ばれ、後進の指揮者に大きな影響を与えたとされている。 彼の生涯を知るための参考文献としては、
嬉遊曲、鳴りやまず―斎藤秀雄の生涯 (新潮文庫)
iPhone13ProMax 2024年1月23日(火) 短歌、俳句、川柳、自由詩、自由律俳句の書き手がつどって、 自分の専門以外のすべてのジャンルにチャレンジする「焚き火句会」。 今日は、自由詩の会のzoom感想会が行われました。参加者6名。 焚き火句会では、夏雲システムをお借りして、投稿作品の感想を書くのですが、 それを元にzoomで話し合い、作者解題を聴くと、より理解が深まるのです。 今日は、斎藤秀雄さんの評のすごさに、一同驚嘆! ぼくは自由詩には苦手意識があったのだけれど、 みなさんのご意見を聴いているうちに、それなら書けるかも、という気になりました。 感想会終了後に、新メンバーの詩人…
天気予報によれば、これは全くの束の間の晴天だそうで、明日の夜になるとまた雨になるっていうんだね。 去年の今頃だったらもうとっくにソメイヨシノは満開だったわけで、今年はずいぶん遅れを取っている。 しかし、昔に比べたらずいぶんいろいろな桜があちこちに植わっているので、そういう桜が前座興行を務めてくれているのであんまり困らない。河津桜、寒桜、オオカンザクラ、オカメサクラ、サトサクラ・・次から次に咲いてくる。しだれ桜にポツポツと花が開きだした。 上野の池も、春休みになったからか、整備工事が終わったせいもあって、池一面にボートがでていて、やたら賑やかだ。子どもたちが漕ぐボートはスワンも手漕ぎも節操がない…
寺島実郎の「世界を知る力」(3月)の図メモです。 前半は世界。後半は日本。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「名言との対話」中川牧三「好きなことをしているうちに、100年たってしまった。うかうかしているんでしょうけど」 中川 牧三(なかがわ まきぞう、本名:中川 牧太郎、1902年(明治35年)12月7日 - 2008年(平成20年)3月18日)は、日本のテノール歌手。享年105。 『101歳の人生をきく 中川牧三・河合隼雄』(講談社)を読了した。サブタイトルは「偽物と近道に気をつけろ」である。この本の中で、中川が「世に蔓延する偽者に騙されてはいけません。それに近道を望んでもいけません…
舘野泉さん 「左手のピアニスト」として知られる舘野泉は、2月に死去した世界的指揮者小澤征爾さんと親交が深かった。追悼の原稿を寄せてもらった。 小澤征爾がこの世を去った。享年88。彼の優れた業績や誰にも好かれる人柄は、すでに多く語られている。そして演奏時の厳しく激しい集中力、全てを優しく抱きしめるような包容力は、演奏会や多くの画像でも人々の記憶に鮮烈に刻み込まれ、語り継がれていくことだろう。長く闘病生活を送っていたが、ご家族の話では穏やかな最期であったという。ひとつの時代が静かに過ぎ去った感慨を覚え、安らかな眠りを願う。 1学年上の小澤と私は少年時代、豊増昇先生に師事していた。日本人で初めてベル…
斎藤秀雄(サイトウ・キネン・オーケストラのサイトウ)の言葉で「型に入れ、そして型から出よ」というのがあるらしい。わかりやすくていいですね 入ったことのない近所の喫茶店に初めて入りました。最近オープンしたんですけど、一人客しか受け付けていなくて入る機会がなかなかなかったんですね。いろいろと、持ちビルの1階で趣味でやっている雰囲気でした
音楽の神 天国へ 召されんと 世界を一つ 調べ奏でて ブルーベリーの枝が風に揺れて、春の水先案内をしているようだ。 6日、心不全で小澤征爾さんが亡くなった。享年88歳。 小澤は旧満州・奉天(現瀋陽)に生まれ、日本で育った。成城学園で指揮者の斎藤英雄に学んだ。59年、若手指揮者の登竜門であるブザンソン国際指揮者コンクールで1位となった。60年、カラヤン指揮者コンクールで優勝し、カラヤン、ミュンシュに師事した。 61年、バーンスタインに、ニューヨークフィルハーモニックの副指揮者に招かれた。73年、ボストン交響楽団の音楽監督に就任する。その合間をぬうようにして、労使紛争で揺れた日フィルから新日フィル…
ウィーン国立歌劇場やボストン交響楽団の音楽監督などクラシック音楽界の頂点と言えるポストを歴任した指揮者、小澤征爾さん。並外れた技術と情熱で聴衆を魅了したのはもちろん、後進の育成に果たした貢献も多大だった。 小澤さんの音楽人生の基層には「平和への思い」があったのではないか。被爆地・長崎市の浦上天主堂(現カトリック浦上教会)での「平和への復活コンサート」でマーラーの交響曲第2番「復活」を指揮し、広島出身の糀場(こうじば)富美子さん作曲「広島レクイエム」の米国初演をボストン響で実現したことからも、それはうかがえる。 小澤さんは家族とともに東京・立川で空襲に遭った体験がある。2015年、共同通信のイン…
2010年8月1日、食道がんで療養中だった小澤征爾さんが活動を再開し、コンサートのリハーサルを公開した =長野県奥志賀高原ホテル 情熱のマエストロ、指揮者の小澤征爾氏が88歳で亡くなった。 名門・米ボストン交響楽団の音楽監督を務めたほか、オペラの最高峰であるウィーン国立歌劇場の音楽監督に東洋人で初めて就任し、「世界のオザワ」と呼ばれた。 その姿は、多くの日本人を勇気づけてきた。日本のみならず世界の音楽界に残した足跡は大きい。その遺志を次代に繫(つな)いでいかなければならない。 昭和10(1935)年、旧満州国奉天(現・中国瀋陽市)に生まれた。幼少期からピアノを学び、桐朋学園で指揮者の斎藤秀雄氏…
指揮者のレナード・バーンスタインと話をする小澤征爾さん(右)=米ボストンで 指揮者として世界のトップクラスに上りつめ、アジアの音楽家が欧米で活躍する道を開いた。小澤征爾さんが88歳で亡くなった。 10歳でピアノを始め、桐朋学園で斎藤秀雄から指揮を学んだ。西洋音楽の本質を東洋人が理解し、表現することは難しいと思われていた時代だ。 そんな中、「外国の音楽をやるためには、その音楽の生まれた土、そこに住んでいる人間、をじかに知りたい」(「ボクの音楽武者修行」)と1959年、貨物船にスクーターを積んで渡仏した。その行動力がチャンスを呼び込んだ。 ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝を手にした後、カラヤン…
2時起床、底冷えのする朝だなぁ〜、小澤征爾の演奏を見ようとしてyou Tubeを探してたら斎藤秀雄没後30年ドキュメンタリーに 出会った、正直、斎藤秀雄たる人物を私は知らなかった、生まれは1906年明治39年、チェロリスト、 ドイツに留学し徹底してオーケストラを学び、日本のオーケストラを育てる、小澤征爾もその中の一人だ。 スパルタ教育なんてもんじゃなかった、納得の行くまで徹底した、それでもついてくる音楽家だけ育てた。 音楽家のバイブルなんだろう、 人を育てる教育とは、スパルタ教育でなければ真っ当な人間には育たない、体罰がいけないとか、罵声を飛ばすなとか、今の日本には してはいけない教育になって…
小澤征爾が鬼籍に入った。 この人の前にベルリン・フィルを振った山田耕筰,近衛秀麿,貴志康一は留学中に自腹で楽団を雇って自作を指揮し録音した面々。 youtu.be 一方小澤征爾はお金でベルリン・フィルを振らせてもらった人ではない。 齊藤門下の一番弟子は間違いなく山本直純だが,彼が日本の楽壇の底辺を担ったお陰で,小澤征爾はピンの音楽家になれた。 「オーケストラはやって来た」にたまに振りに来て公開録画で聴いた新世界(新日本フィル)は素晴らしかった。 youtu.be 1992年に蜷川幸雄の演出で上演した「さまよえるオランダ人」の迸る音楽の進行も忘れられない。あの頃から小澤征爾はオペラもやるようにな…
昨夜、速報で流れて。その後、今日何度も取り上げられていた、この話題。・・・私がネットニュースとか、SNSサイトを見た印象では。国内よりも、日本国外の方が大きく取り上げられている、ような気がします。これはこの方の経歴が日本国内よりも国外での活動期間が長く、かつ広範囲に及んでいたため、日本国内よりも国外での知名度と評価が高い結果ですかね。そういう方が亡くなってしまったのは、日本にとって大きな損失です。本当に残念です。・・・謹んでご冥福を心よりお祈り申し上げます。 www.yomiuri.co.jp 小沢征爾さん死去、88歳…ボストン交響楽団などで日本人初の音楽監督 世界的指揮者で、ボストン交響楽団…
血圧値 132/83/75 酸素飽和度 98% 体温 36.5℃ 体重 67.9キロ 空気の引きしまった、美しい朝です。 外気温は3℃で、ちょっと寒いけど。 来週は、なんと最高気温20℃に達するかも、とか。 季節は動いています。 小澤征爾さんが6日、亡くなりました。88歳でした。 また一つの時代が終わりました。 たてつづけに、こういう話題ばかり、聞いている感じです。 小澤さんのライヴは、ずいぶん前に水戸室内管弦楽団のベートーヴェンの4番を聴きに行くはずが、小澤さんの体調が悪くなり、突然キャンセル(代打)になってしまったのが、最後のチャンスでした。 あれは聴いておくべきだったなあ。 小澤さんは、…
小澤征爾氏が逝去された。八十八歳。今晩のニュースを見ていて知った。食事時、思わず箸が止まった。 娘からすぐにラインが来た。「パリで観た時凄かったね、残念」とあった。当時小学生だったのだが彼女はよく覚えていたのだろう。シャンゼリゼ劇場の最上階のボックス席から見た。直前でチケットが取れた時は信じられなかった。演目はベルリオーズの幻想交響曲、そしてラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌ。二曲のフランス物だった。フランス国立管弦楽団から豊かな音色と迫力に満ちた音を導き出していた。オーラに満ち溢れエネルギッシュな指揮姿は2007年10月4日だった。 小澤征爾は長くボストン交響楽団の音楽監督を務めていた。こ…
国際的に活躍 2024/2/9 19:11 小澤征爾さん(2010年8月)「世界のオザワ」としてボストン交響楽団やウィーン国立歌劇場の音楽監督などを務めた指揮者の小澤征爾さんが2月6日、都内の自宅で心不全のため死去した。88歳だった。 旧満州(現在の中国東北部)生まれ。ラグビーのけがでピアニストを断念、東京の桐朋学園に第2次大戦後に設けられた音楽教育部門で斎藤秀雄氏に指揮の基礎を学んだ。 桐朋短大を卒業後に渡欧し1959年、フランスのブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。その後、名指揮者のカラヤン氏に師事、さらに指揮者・作曲家のバーンスタイン氏に招かれ、米ニューヨーク・フィルハーモニックの副指…