優勝候補を次々に撃破した新湊フィーバー センバツ・旋風の記憶[1986年] リニューアル前の甲子園 こういうのを、旋風というのだろう。1986年センバツ。前年秋のチーム打率.291で、出場32チーム中最下位だった新湊(富山)が、次々と優勝候補を倒してベスト4まで進んだのだ。 率いたのは、檜物政義監督。仏壇漆塗りの「塗師」として生計を立てながら、母校の指導にあたっていた。こう振り返る。 「もともと力がないチームで、しかもあの年は大雪。練習不足は目に見えています。だから、ほかの高校はみんなウチと対戦したいんですよ。抽選会で、私たちの2列前に座っていたのが享栄(愛知)。対戦が決まると、彼らは立ち上が…