毎日の繰り返し、退屈な日常、というように見えるものによって人生はつくられている。もちろん、時には大事件と呼べるようなものも起こり、我々はそういうイベントの連なりを人生と呼んだりもするが、実際のところは、そうした大事件も日常の中に潜んでいた要素がある一定量を超えたために表面化したに過ぎない可能性がある。 日々が充足していて、満ち足りていれば、いつまでもそうした日々が続けば良いと自分は願うかも知れないが、自分というのは、ありとあらゆるものとの関係性のことであった、と思い返してみれば、自分だけの充足や満足でものごとは十分ではなく、むしろ自分よりも他者がどうなのかの方が重要である、というのが、長いスパ…