1937年(昭和12年)7月7日の夕方、支那駐屯軍歩兵第一連体第三大隊の中隊長清水節郎大尉は第八中隊を指揮し、夜間演習のため、北京郊外の盧溝橋付近の演習地に向かいました。盧溝橋は氷定河にかかる石橋でそのたもとには乾隆帝が橋の美しさに感動し、「盧溝暁月」と筆をしたためた石碑があり、また、盧溝橋は13世紀にマルコ・ポーロが訪れたことから欧米ではマルコポーロ橋と呼ばれており、付近は風光明媚な景勝地でもありました。1937年(昭和12年)7月7日夜10時30分頃、演習が終了した後の10時40分頃、突如として清水中隊に十数発の実弾が浴びせられました。しかし、最初の一発は日本軍と中国軍お互い相手が先に撃っ…