前回の最後に、福沢諭吉の「苦渋」と書いた。 ジャーナリストで思想家で教育者で、さまざまな肩書をもつ福沢だが、本業は学校経営者である。 念頭に、緒方洪庵とその適塾があったことは『福翁自伝』からもうかがいしれる。幕末、官軍東征の際ですら、一日も慶應義塾を休むことはなかったという逸話は、門下生の名誉であり、福沢の本懐であったろう。 福沢が私学にこだわったのは、「学問」が国家や権力の圧力によって歪曲されてはならず、「自由」でなければならないという自身の思想による。よって、慶應義塾が三田に私学として在り続けることは思想の実践であった。 そしてその実践のなかで〈経営〉ほど実践的なものはないだろう。 清談や…