初、文帝分(曹)真邑二百戸、封真弟彬為列侯。 (『三国志』巻九、曹真伝) 嘉平中、紹功臣世、封(曹)真族孫熙為新昌亭侯、邑三百戸、以奉真後。 (『三国志』巻九、曹真伝) 曹真がもともとは曹氏ではなく、父が曹操のために命を張ったことで曹氏になった、曹操の子と一緒に養育された、というのは有名だが、彼には弟がいたので、その弟も一緒に曹氏になり、曹操の子と一緒に育ったのだろう。 曹爽一族が滅び、曹真直系が絶えた時に後継ぎとされた「族孫熙」というのも、おそらくは曹真の弟曹彬か、もしくば別の兄弟の孫ということなのだと思う。 その割に曹真以外は特に事績が残っていないようだが、彼ら兄弟は曹真のように重用される…