高句麗の王都。鴨緑江と通溝江の合流地点の北岸に位置し、平地城(国内城)と山城(丸都山城)がセットとなった構造をしている。中国の三国時代、魏の幽州刺史毌丘倹の侵攻を受けた。5世紀前半、長寿王の時代に南の平壌へと遷都された。 卒本からの遷都 呉との外交 魏の侵攻 「毌丘倹紀功残碑」 都市の遺構 平壌への遷都 関連人物 関連交易品 参考文献 卒本からの遷都 紀元前108年からその翌年にかけて、前漢の武帝により楽浪、真番、臨屯、および玄菟の4郡が設置された。そのうち玄菟郡の属県の一つとして高句麗県の名がみえる(『漢書』巻28下地理志下)。県自体が先住種族である高句麗に対する支配を大きな目的として置かれ…