方言は、一つの武器である。 それは標準語によるテキストが溢れかえり、ともすればあらゆる表現が均一化されるなかで、ある種の本音を担保するものとして機能するからである。しかしこれをコントロールするのは難しい。 私は大阪出身なので、普段は大阪弁を用いてものを言うが、文章にするとどうにも嘘っぽくなってしまう。似非関西弁のようになってしまうのだ。そして大阪生まれの人間は、アレルギーの如く似非関西弁に過敏になる(ように思う)。 良くも悪くも、カテゴライズされた大阪人という雰囲気がが鼻につくのだろう。誰もが阪神タイガースのファンではないし、たこ焼きで白飯が食える訳でもない。そんな訳で、粛々と標準語でブログを…