かつて昭和の御世、人々の生活は自宅から50m以内にあった。 平成になると、人々の居場所は自動車で行った先になった。 やがてネットを通して、遠くの人と繋がりを持つようになり、 将来、ネットのこちら側に私以外の人はいなくなる、という話。(写真:フォトAC) 【50m四方だけが“世界”】 私の生まれ育った家は地方の中核都市の外れ、少し大きめの河川の堤防を降りたところにありました。坂を下ると袋小路になっていて、そこに19戸ほどの市営住宅があったのです。そのうちのひとつが私の家です。 二棟続きの平屋住宅が7棟、戸建ての平屋が5棟、いずれも今でいう2Kトイレ付風呂ナシの質素なもので、棟続き・戸建の別がある…