1130年〜1200年。 中国の宋代(南宋)の儒学者。字は元晦または仲晦。号は晦庵・晦翁・雲谷老人・滄洲病叟・遯翁など。また別号として考亭・紫陽がある。謚は文公。「朱子」の尊称で呼ばれている。儒教の体系化を図った儒教の中興者で朱子学の創始者である。朱子学やその後、明の時代に学問部分が国教と定められた。また、日本にも輸出されて江戸時代には幕府も朱子学を尊重した。
渾名禁止(ニックネーム禁止) 学童の居るご家庭なら、結構耳にされる事も多いとおもいますが、最近の学校では、「渾名あだな」が禁止なんですね。 理由は「付けられた渾名が嫌だと思う人もいるから」なんだそうです。 あと、名前の「呼び捨て」や「君付け」も止めましょう。という動きになっているそうです。 これは、男女差別や、見下げる感じの「いじめ」に繋がるからだそうで、男女年齢差に関係なく「さん」付けで呼びましょう。らしいです。 うーん、ちょっと世も末な気持ちにさせられるのは、世代的な偏見なんでしょうか? 渾名に関しては、学校のトイレで一度だけ大をしただけなのに、以来「ウ○コマン」とか呼ばれたりする子もいて…
2001年9月18日第1刷発行 2002年6月18日第62刷発行 表紙裏「いま、暗誦文化は絶滅の危機に瀕している。かつては、暗誦文化は隆盛を誇っていた。小学校の授業においても、暗誦や朗誦の比重は低くなってきているように思われる。・・・歴史のなかで吟味され生き抜いてきた名文、名文句を私たちのスタンダードとして選んだ。声に出して読み上げると、そのリズムやテンポのよさが身体に染み込んでくる。そして身体に活力を与える。それは、たとえしみじみしたものであっても、心の力につながってくる。(おわりにより)」 はじめに 一、腹から声を出す 「知らざあ言って聞かせやしょう」【歌舞伎】弁天娘女男白浪(白浪五人男)…
中学高校の国語で古文や漢文などいろいろ習いましたが、そこで出てくる事物などについて、英語でなんて言うんだろうと思ったことありませんか? そんな、国語の勉強をするなかで出てくる言葉の英語をまとめてみました。 「英語で国語〜古文〜」はこちらをごらんください。
316.子張問政於孔子曰:「何如斯可以從政矣?」子曰:「尊五美,屏(bǐng)①四惡,斯可以從政矣。」子張曰:「何謂五美?」子曰:「君子惠而不費,勞而不怨,欲而不貪②,泰而不驕,威而不猛。」子張曰:「何謂惠而不費?」子曰:「因人所利而利之,不亦惠而不費乎?擇可勞而勞之,又誰怨?欲仁而得仁,又焉貪?君子無眾寡,無小大,無敢慢,斯不亦泰而不驕乎?君子正其衣冠,尊其瞻視,儼然人望而畏之,斯不亦威而不猛乎?」子張曰:「何謂四惡?」子曰:「不教而殺,謂之虐;不戒視成③,謂之暴;慢令致期④,謂之賊;猶之與⑤人也,出納之吝⑥,謂之有司⑦。」(卷九 論語) 【注釈】①屏:除去,排除,摒棄。②欲而不貪:下文云「…
今回はこのシリーズの続き。 hiroringo.hatenablog.com 『日本人のためのイスラム原論』を読んで学んだことをメモにしていく。 日本人のためのイスラム原論 作者:小室 直樹 集英社インターナショナル Amazon 6 「第1章_イスラムが分かれば、宗教が分かる_第2節」を読む(中編) 前回は日本人が宗教的規範としてイメージしやすい「仏教の『戒律』」についてみてきた。 この点、「戒律」は仏教における宗教的な「規範」である。 もちろん、同じ「規範」であっても規範が果たす「役割」は一神教とは異なる。 そして、鑑真の日本渡航によって当時の日本において「受戒」の制度が整えられた。 その…
かつて、「自分が引用した文献を読め!」という刺激的なタイトルのプレプリントが話題になったことがある。曰く、理系の論文(特にイントロの研究史をまとめたあたり)に引用されている書誌情報に誤りが多く、しかも誤りの系統樹まで作れるという。つまり、多くの研究者が実際には参考文献を読まずに、孫引きを繰り返しているということだ。あまりにも思い当たる節がありすぎる。そもそも上記の話も小耳に挟んだだけで、そのプレプリントの書誌情報はどう調べたものかわからない。ひと月くらい前、やはり同じようなこをやってしまった。音律の理論、西は弦楽器なのだけど、東は管楽器が基準なのは何故。。。?— QmQ (@gejiqmq) …
おはようございます。 今日は私が所属する大阪都島区倫理法人会の経営者モーニングセミナーが開催されます。 いつもなら、5時半に到着し、準備のお手伝いをするのですが、先週と今週は6時半からの参加です。 腰とひざを痛め、立っているのもつらい状態です。体は大切にしないと……と改めて実感しています。 今日の『職場の教養』のタイトルは、「足跡を辿る」です。 アメリカの雑誌、『ライフ』が発表した「この1000年の間で最も重要な人物トップ100ランキング」で、日本から唯一選ばれたのは、葛飾北斎だとか。 ほかにも選ばれそうな人はたくさんいるのに⁉と思いましたが、改めて考えると、なかなか思い浮かびません。 あまり…
9 日曜日の午後、自宅 「ブルックナーのミサ曲第3番を聴いている、穏やかな休日」 「ブルックナーの作曲した宗教曲の中では、最高傑作の一つとして世に知られている」 「実はあまり聴き込んでいない、たまたまCDが視野に入り聴いている」 #自由律ブルックナー:ミサ曲第3番 https://t.co/fSzsUPlfv4 日曜日の午後、自宅 「ミサ曲から気分を変えて、ソンドハイム、スウィニー・トッド」 「ミュージカルが大好きだ、劇団四季はコロナ禍前にはよく観に行った」 「メロディが凄いと思う、旋律が広がっていく、いつの間にか口ずさんでいる」 #自由律 Sweeney Todd https://t.co/…
日曜日の午後、自宅 「午前中は子の試験結果の振り返り、担当は国語・社会・理科」 「昔から国語だけは良く出来た、解き方を子に教える」 「午後からラグビー部一年生が集まって、自主練とか」 #自由律https://t.co/RhmH9oCJ6z #精神年齢レベル診断 #精神年齢 #困難な旅路を経験したアヒル #47歳 日曜日の午後、自室 「モーツァルトの歌劇「魔笛」を聴いている、相変わらず魅力的だ」 「ベーム指揮ベルリンフィル盤以外は持っていない、この盤を溺愛している」 「若き頃に魔笛中毒者となり、四六時中聴き続け、全曲ハミングしていた」 #自由律 モーツァルト:魔笛 全曲 https://t.co…
論語を楽しむブログです。このブログの楽しみ方については「第4回」を御覧下さい。 今回は、学而第一(9)です。 学而第一(9)の書き下し文と訳 書き下し文:『論語 (漢文叢書)』WIKISOURCE 曾子曰く、終(おわり)を愼(つゝし)み遠きを追へば、民の德厚きに歸(き)す。 訳:下村湖人『現代訳論語』青空文庫 曾先生がいわれた。―― 「上に立つ者が父母の葬いを鄭重にし、遠い先祖の祭りを怠らなければ、人民もおのずからその徳に化せられて、敦厚な人情風俗が一国を支配するようになるものである。」 本章で目につくのは、葬儀、祖先を祀ることですが、今回は、それらを道徳の実践例とみなして後方に置いて、道徳の…
日曜日の午後、 「良い天気だ、サンドイッチとコーヒーと本を持って森で過ごそう」 「サンドイッチは、1分もかからずに消えてしまった、、、」 「西洋哲学はストア哲学しかまともに読んだことはないが、学問の薫りはなんとなくわかる」 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A2%E6%B4%BE #自由律 https://t.co/PjJSuP3iYR 日曜日の午後、 「サルトルやウイトゲンシュタインは数冊読んだ、が、面白いが続かない」 「アリストテレスは、岩波文庫を揃えた、表紙と目次は繰り返し読んだ」 「デカルト(岩波文庫)は、…
20話 尚明は「東廠は西廠の祖父も同然、万通の証拠を出せ」と説くが説得力ゼロね 突然、演技派な汪植は「弔いたい」と「養いたい」。なんだか慶余年を観ているせいか、この皇宮は平和だな。
川本慎自『中世禅宗の儒学学習と科学知識』(思文閣出版、2021年) *単なる備忘録なので、閲覧・検索には適していません。 また、誤字・脱字の訂正もしていません。 序章 P3 一 中世禅宗の二つのイメージ 日本中世の禅には、二つの大きくかけ離れたイメージがある。一つは、道元や愚中周及に代表されるような、深山幽谷のなかでひたすら坐禅に励んだり、世俗の喧噪から離れてひたすら偈頌詩文を著すといった、清冽な仏教というイメージである。そしてもう一つは、夢窓疎石や亀泉集証に代表されるような、室町幕府などの政権と結びつき、将軍の精神的支柱となる一方で寺院経営に長じ、荘園経営や金融経営などの面で中世経済を牽引す…
江南地方には、古くから懸崖(人が登ることのできない絶壁)の高い所に棺が安置されていることはよく知られていた。懸崖の棺は、一般的に懸棺と呼ばれ、その場所は崖墓と呼ばれいた。 船棺の平面図 博物館に展示されている船棺 崖墓に安置されていた現場の写真 高い所の崖墓から下におろされた時の写真 崖墓の最も古いものは、福建省武夷山市の大王峰にある崖墓。最初に武夷山市の崖墓を見たのは、1995年1月。それ以来、崖墓と祖霊信仰と稲作文化のかかわりについて考えるようになった。そして、1997年10月29日、再び武夷山市を訪れた。 武夷山市の博物館裏にそびえる大王峰 大王峰の絶壁にある崖墓跡 大王峰の上から見た武…
昔話や古典には、「だじゃれ話」がよくあります。一休さんの「このはしわたるべからず」もその一つです。ある時、ある人物が、この橋を渡ってはいけませよ、という意味で、この看板を建てました。いやがらせです。 一休さんは、しばらくその看板を見ていましたが、やがて橋の真ん中を堂々と渡ってゆきました。「端(はし)」ではなく、真ん中なら渡っても良いだろうという理屈です。してやったりです。 一休さんといえば、「正月は(門松は) 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」という皮肉めいた言葉があります。「正月はなるほどめでたいが、一年一年確実に死に近づいているのだから、めでたいだけじゃないよね?」というよ…