1130年〜1200年。 中国の宋代(南宋)の儒学者。字は元晦または仲晦。号は晦庵・晦翁・雲谷老人・滄洲病叟・遯翁など。また別号として考亭・紫陽がある。謚は文公。「朱子」の尊称で呼ばれている。儒教の体系化を図った儒教の中興者で朱子学の創始者である。朱子学やその後、明の時代に学問部分が国教と定められた。また、日本にも輸出されて江戸時代には幕府も朱子学を尊重した。
これはあの有名な朱熹が編集した宋代の名臣96人のエピソード集です。ただ余りに人数が多いからか一人一人の分量がとても短く、だいたいが「ある時こんな事があった・・・云々」的なちょっとした話を大量に寄せ集めた雑録本です。なので、誰か興味のある人物の全体像をこの本から読み解こうとする資料目的の使用には余り向いてないと感じました。結構長いので、暇に任せてちょっとずつ「つまみ食い」するのがいいのかと思います。読んでいて特に難儀だったのは、出てくる名臣の名前ですね(英米人と違ってなんか覚えにくいが、単なる慣れの問題とも言える)。中国の人の名前はだいたい姓1文字・名1文字というのが多く、しかも難しい古い字で書…
中国南宋の張九成によって著された儒書。宋代の刊行本が唯一、京都東福寺に現存している。端麗な宋版の実例としての書誌学的価値から、国の重要文化財に指定されている。 忘れられた書物、日本に渡る 注目されなかった為に 参考文献 忘れられた書物、日本に渡る 『中庸説』の著者張九成(号は無垢)は、南宋に仕えた官僚。学者としても知られ、その思想は儒教と仏教を融合したものであったとされる。1159年(平治元年)に没し、死後に崇国公に封じられ、「文忠」の諡号を賜った。 張九成について『宋史』には「九成研思経学、多所訓解、然早与学仏者遊、故議論多偏」と記されている。張九成が経文を学び多くの解釈を行ったと評価される…
こども「学問の素晴らしいことはすごいですね。その詳細を教えてください」 「宋明の儒の先達である朱熹らは、皆、天性がすべてであってこれを至上とし、学問の意味が非常に大きいことを知らない。だから、天性には限りがあって、天下の道には窮まりがないことを知らない。天性には限りがあると言えども、窮まりのない道を求めるのであれば、学問をするしか方法はないのだ。孔子が専ら教えを尊ぶのはそのためである。中庸に『天下の至誠は、ただその天の性を尽くす。己の性を尽くすというのは、他者の性を尽くすということになる。他者の性を尽くせば、物の性を尽くすということになる。物の性を尽くせば、天地の化育をたすける。これが天地と共…