1130年〜1200年。 中国の宋代(南宋)の儒学者。字は元晦または仲晦。号は晦庵・晦翁・雲谷老人・滄洲病叟・遯翁など。また別号として考亭・紫陽がある。謚は文公。「朱子」の尊称で呼ばれている。儒教の体系化を図った儒教の中興者で朱子学の創始者である。朱子学やその後、明の時代に学問部分が国教と定められた。また、日本にも輸出されて江戸時代には幕府も朱子学を尊重した。
こども「学問の素晴らしいことはすごいですね。その詳細を教えてください」 「宋明の儒の先達である朱熹らは、皆、天性がすべてであってこれを至上とし、学問の意味が非常に大きいことを知らない。だから、天性には限りがあって、天下の道には窮まりがないことを知らない。天性には限りがあると言えども、窮まりのない道を求めるのであれば、学問をするしか方法はないのだ。孔子が専ら教えを尊ぶのはそのためである。中庸に『天下の至誠は、ただその天の性を尽くす。己の性を尽くすというのは、他者の性を尽くすということになる。他者の性を尽くせば、物の性を尽くすということになる。物の性を尽くせば、天地の化育をたすける。これが天地と共…