中国の儒学者。思想家。(B.C.372?-289)
中国、戦国時代中期の思想書。七編。孟子の言行をその弟子たちが編纂したもの。民生の安定、徳教による感化を中心とする王道政治を主張し、また性善説に基づく道徳論・修養論を展開している。その文章は議論体の古文の模範とされる。四書の一で、儒教の必読書とされた。
孟子(紀元前372年頃~紀元前289年)は、 孔子の教えを継承し発展させた古代中国の儒家思想家であり、戦国時代に活躍しました。彼の哲学と思想は、性善説や王道政治を中心に展開され、後世の儒学や政治思想に大きな影響を与えました。 性善説 孟子の哲学の中心には「性善説」があります。彼は人間の本性は善であり、道徳的な行動をする潜在能力を持っていると考えました。 性善説の背景と基盤 孟子の性善説は、彼の哲学の中心的な概念であり、人間の本性が善であるとする考え方です。この思想は、戦国時代の社会状況や儒家思想の発展に深く関連しています。以下にその背景と基盤を詳しく説明します。 背景 戦国時代の混乱 孟子が生…
一条真也です。たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「法」です。 企業の相次ぐ不祥事で、法律遵守の重要性が叫ばれ、「コンプライアンス」が時代のキーワードになっています。日本は法治国家ですが、現実世界において最も影響力のあるものは法律かもしれません。「法」というコンセプトをよりよく理解するためには、儒教の人間尊重思想である「礼」というコンセプトと対比するとよいでしょう。 孟子 (講談社学術文庫) 作者:貝塚 茂樹 講談社 Amazon 孟子は…
孟子は、 古代中国の戦国時代に生きた儒学者で、孔子の思想を継承・発展させた人物です。彼の思想は、後の中国思想、特に朱子学に大きな影響を与えました。 孟子のプロフィール 生没年 紀元前372年 - 紀元前289年頃 出身 中国の鄒(すう) 師 孔子の孫である子思(しし)の門人とされていますが、定かではありません。 活動 諸国を遊説し、王侯に仁政を説きました。 著作 『孟子』 孟子の哲学 孟子の哲学は、主に以下の点で特徴づけられます。 性善説 人間は生まれながらにして善性を備えているという考え方です。具体的には、「惻隠(そくいん)の心」「羞悪(しゅうお)の心」「辞譲(じじょう)の心」「是非(ぜひ)…
昨日は体調を崩しておりまして1日お休みをいただいておりました。 何の前触れもなくいきなり「寒っ…」ってなって、その後も早かった… 皆様もお体お大事にお過ごしください。 今回は漢文回でございます。 【大学】小樽商科大学 【年度・期】2024年度・前期 【著書】『孟子』 【著者】 孟子および萬章をはじめとしたお弟子様 氏 性善説で有名な孟子の逸話や問答を収めた書物「孟子」の一節です。 「人間の本性は『善』である」と主張する孟子。 この章段では人間の本性「善」が失われている状態を「伐採された山」に例えています。 山の美しさというのは日々培われてきたものであり、それを斧やまさかりで切り倒したら美しくな…
孟子先生の生きた時代は、「百家争鳴」のまさに、「思想の黄金時代」でした。 もっとも、戦国時代の乱世ゆえに、在野の思想家の意見が国政に反映されたのですが。 しかし、自分の思うがままの国家を口先3寸だけで作り上げることができる夢のような時代でもあったのです。 そんな厳しくもおもしろい乱世に、孟子先生は敵対する思想家をどのように評価したのでしょうか? 聖王作(おこ)らず、諸侯放恣にして、処子横議し、楊朱・墨翟の言、天下に盈つ。天下の言、楊に帰せざれば則ち墨に帰す。楊氏は我が為にす、是れ君を無(なみ)するなり。墨氏は兼愛す、是れ父を無(なみ)するなり。父を無し君を無するは、是れ禽獣なり。 『これより以…
《自民や立憲は最低賃金の引き上げや給付の拡充に言及したが、中小企業の生産性を高める方策や財源の裏付けは明確ではない。社会保障制度の持続性を高める道筋も示されなかった》(2024年10月28日付毎日新聞社説) 無理矢理最低賃金を上げれば、体力のない中小企業は潰(つぶ)れざるを得ない。が、だからといって、中小企業を保護してしまっては、陳腐な社会主義にしかならないだろう。それにしても、2020年代に最低賃金1500円にするなどというような話は性急に過ぎる。 が、そもそも最低賃金を上げることだけに躍起になっているのが間違いの素(もと)なのだ。最低賃金が上がったとて、その恩恵を受ける人はごく限られた人で…
『◇孟母三遷(もうぼさんせん) (中国の故事成語) 子どもの教育には、環境を選ぶことが大切であるという、『孟子』の教え。孟子の母は、孟子を育てる時に、三度も引っ越しをした。はじめ墓地の近くに住んでいたが、孟子が葬式のまねばかりするので、町の市場の近くに引っ越した。すると、今度は商売のまねばかりして遊ぶので、今度は学校の近くに引っ越した。すると、孟子はここでは生徒のまねをして、本を読んだり、文を書いたりして勉強をするようになったので、やっと、ここを住居としたという。孟子の母は、熱心な「教育ママ」のさきがけと言われる。』 教育ママにも、様々なパターンがあります。 冒頭の故事成語で、出てくる孟子の母…
皆さん、こんにちは!さて、今日は小ネタです。なぜ、私のハンドルネームを「至誠くん」にしたのか?を報告したいと思います。まず、下記のバナーをクリックして、応援していただけると嬉しいです ↓ ↓ ↓・・・???吉田松陰が残した有名な言葉に「至誠にて動かざる者は、未だこれあらざるなり。」というものがあります。もともと中国の孟子の言葉で、「精一杯の誠意で相手に接すれば、それで心を動かされない人はいない。すなわち、人を動かそうと思ったら、真心を持って精一杯の心で接するべし。」という意味です。・・・私は、会社に勤めていた頃(社畜であった頃)、人と関わる時にどこかで計算していたり、上司の指示で自分の考えと異…
一条真也です。父の葬儀から一夜が明けましたが、気分が高揚しているのか、なかなか寝つけませんでした。それでも、父の通夜と葬儀をきちんと行えた満足感でいっぱいです。父に関しては、最期を看取ることもできましたし、介護にはじまって通夜・葬儀に至るまで一片の悔いもありません。 ブログ「人の道」でも紹介しましたが、葬儀は人類の存在基盤です。古今東西、人が亡くなって葬儀をあげなくてもいいと考えた民族も宗教も国家も存在しません。もし、日本に「葬式は、要らない」とか「葬式消滅」とかの考えが存在するのなら、それは人類史から見て現在の日本人が異常なのです。「親の葬儀は人の道」というのはわたしの信条ですが、孔子が開い…
乱世の不穏な空気の原因は、その君主の圧政にある。前時代の平和な時代は、国はこんなに民を管理し、刑罰・法律も、厳格でなかった。国が民に、法の圧力をかけては、その法をかいくぐって、逆に悪さをする人間が増えるだろう、と孔子は考えた。 何より、厳しい法律の下では、人間は主体的な「良心」を働かすよりも、罰を恐れるようになる。後退の精神、これをしたら、こうされるという、マイナスにしか目が行かなくなる。良心の消滅、良心から生まれる人間としての尊い「恥」を知る機会を失い、悪知恵を悪とも思わぬ心が、平気で働くようになるだろう。 法律で、人間を縛るべきでない。そこで、法に代わって、「道徳」による治世を行なうべきだ…