なるせまち。 何か理由があるからごみ集積所が近いのか、 たまたまなのか。 こういうパターン多いです。 生活と共存しているまちしるべ、ですかね。 【加賀藩重臣成瀬氏の邸地であったので この名がついた。昔は高石垣の上に楼門、長屋 などがあり、俗に加賀の小城と呼ばれた】 このあたりに小さなお城が!
「坂」って、「どこからどこまで」なのでしょう。 目印や看板があるわけでもないから いつもギモンに思います。 この木曽坂は、宝円寺まで続くということ。 ここはまだまだ入口なので、宝円寺まで 行ってみないと。 【木曽の山中のような幽すいな所なので この名がついた。その一部は宝円寺の裏門の坂 なので裏門坂ともいわれていた】
八坂から松山寺を経由して木曽坂を探す途中で 見つけた景色。側溝を流れているのは とてもキレイな水のようです。 そしてその側溝に流れ込んでいる水もキレイ。 もしかして辰巳用水の分流でしょうか。 歩いて見つけた偶然の出会い、楽しいです。
しょうざんじ。 八坂を下りると松山寺があります。 坂を下りただけなのに、まちの雰囲気が 変わったように感じるのは、松山寺があるから でしょうか。 金沢市指定文化財の山門の向こうには地蔵堂が。 手を合わせると静かなキモチになります。 山門に板が二枚、特に字が書いてあるわけでは ないような。 例えば、叩いて何かを知らせるとか、かな。 気になる。 《松山寺》 金沢市東兼六町5-6
こじりたにざか。 東兼六町と小将町を結ぶ小尻谷坂。 兼六坂を上りつつ、八坂の手前を左に曲がると 現れます。 尻谷坂とも呼ばれた兼六坂より小さいから 「小尻谷坂」、おもしろいネーミングです。 金沢の「坂」ってどうしてこんなに魅力的なのか… ドキドキします。 名前のある坂も、名前のない坂も。 【藩政期の中ごろ尻谷坂(汁谷坂・尻垂坂等)より より小さいところから、この名がついたと いわれている】
ある日のこのあたり散歩。 八坂を下りて松山寺から木曽坂あたりまで。 そのまま戻り、八坂を上って兼六園方面へ。 ホントは石引あたりまで行きたかったけど、 時間がなかったのでまた今度。 たくさん歩いてたくさん新しい発見をしました。 そろそろまた散歩します。
見事な門構え、長く続く土塀が普通のお宅では ないなと思ったらやはり、指定保存建造物でした。 町家に詳しくないのでうまく表現出来ませんが、 緩やかな傾斜の屋根と、格子状の模様が 目を引きます。 少し歩くと「中土橋」という橋がありました。 昔の面影を残しつつ、補強されてました。 歩かないとわからないこと、 たくさんあります(^^) 《越村邸》 金沢市兼六元町9-33 金沢市指定保存建造物