時は1984年の夏。中三だった私は浦和駅と南浦和駅の中間にある、小松原女子高等学校(今の浦和麗明高等学校)を借りて開かれていた夏期講習に参加していた。授業は午前中で終わり、12時過ぎ。当時の国鉄(日本国有鉄道)高崎線は今のJR東日本高崎線とは違って普通列車の本数が少なかった。高崎線は上野ー大宮間を東北本線に乗り入れているが、高崎線も東北本線も特急が頻繁に走っているため、普通列車の本数は昼間だと1時間に2本しかなかった。しかも線路の保守を行なう時間を12時頃に設けていたので午後の授業を受けた後、12時過ぎに浦和駅へ行っても次の高崎線の電車が出るのは午後1時を過ぎないと来なかった。 だが私は次の高…