八代城 欄干橋 by:photo-ac 113回目ですね。 今回は、熊本県の八代城といきましょう! 八代(やつしろ)城は、八代平野の球磨(くま)川河口に築かれた平城です。 雄藩である薩摩藩・島津氏の押さえの拠点の城として重視されている城で、加藤清正の子である忠広(ただひろ)が築城しました。 八代城の欄干橋は本丸の東側にある入口です。 築城当時ここには木橋が架けられており、橋を渡ると高麗門と頬当(ほほあて)御門と呼ばれる櫓門があり、内桝形になっていて、防御を固めていました。 「続日本100名城」(第190番)に選定されています。 また、「八代城跡群 古麓(ふるふもと)城跡 麦島城跡 八代城跡」と…
図録を幾つか購入した 3月24日に八代で玄聖院様を御借りして六壬の講義をしてきたのだけど、講義は午後からだったので午前中に博物館の『未来の森ミュージアム』に行ってきた*1。丁度令和5年度冬季特別展覧会の『武将の備え』の最終日だった。展示も面白かったけれども、図録に興味を惹かれるものがあったので幾つか購入した。この絵は、八代城主二代目の松井興長(おきなが)の像の一部で、『もののふの美と心』展の図録から拝借した。図の全体はもっと縦長で上部にこの図像の由来が漢文で書いてある。興長が羽織っている陣羽織は、江戸城御手伝普請で功があったことから家光からの拝領の品だ。図録の説明ではこの陣羽織や周囲の武功をし…
豊前小倉細川家の家臣。宇佐郡の御郡奉行をつとめた上田忠左衛門の弟。当主細川忠利によって召し抱えられた。細川家中では葡萄酒やアヘンの製造を担う一方で、医師としての役割も期待されていた。 細川忠利のリクルート 南蛮の技術 下村已安の治療 平戸の上田忠左衛門弟 参考文献 細川忠利のリクルート 細川家で編纂された「先祖附」という史料によると、上田太郎右衛門は寛永三年(1626)に当主細川忠利に新知300石を拝領して、御小姓組に召し加えられたという。 寛永三年(1626)閏四月二十八日付の「奉書」(殿様の命令を伝える文書)にも太郎右衛門が召し抱えられた経緯が記されている。これによると、新規の奉公人の召し…
① 日時 2024年2月22日② 場所 JR鹿児島本線「八代」駅からバスで約10分「八代宮前バス停」下車すぐ 〒866−0862 熊本県八代市松江城町7−34 kumamoto.guide ③ コメント続日本100名城の190番です。 人吉の宿を出発後、レンタカーで八代城に来ました。まず、スタンプがある八代市立博物館未来の森ミュージアムの駐車場に車を停め、スタンプを押しに行きました。警備室のところにありました。警備室の横に八代城址の模型がありました。 未来の森ミュージアムから歩いて遠くないということで雨の中ですが、歩いて八代城址に行きました。 橋を渡り中に入ります。入ってすぐのあたりが本丸があ…
昼からひと仕事しないといけないので、暗い内にカーボンロードバイクで出発し、中の瀬橋、めど町橋を渡って南へ。宇城市に入る頃には東の空が白み始め、 左の方が少し欠けていた月も形を戻しながら西の空へ沈み行く。 部分月蝕を堪能しながら八代市まで脚を伸ばし、細川藩の筆頭家老であった、松井氏の所縁の地を廻って来た。 松井氏は、室町時代には足利将軍家に仕える幕臣だったが永禄の変で足利義輝が1565年に殺害されると嫡男・松井康之は同じく足利将軍家に仕えていた細川藤孝(幽斎)ともとで行動するようになり共に戦乱の世を生き抜いた。 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、康之と嫡男・松井興長は藩主細川忠興に従って…
※アフィリエイト広告を利用しています 【X投稿文章の再掲】 とりあえず投稿文をそのまま転記していますが、あとでまとめ直す予定です。 Xより見やすいと思いますので、こちらに再掲しています。 人生の巡りについて、鶴丸の台詞にあった4色と照らし合わせて白→青→(黒)→赤→黒…と繰り返すと述べたが、刀ミュにおける成長とは何なのかについて考えていきたい。 まず、刀ミュにおけるキャラクターの成長について。 そもそも刀ミュに限らずなんだけど、刀剣乱舞のキャラクターって、その刀が作られた年代と精神年齢があんまりリンクしていない。比較的最近作られた兼さんが一番精神的に幼いかというとそうではない。どちらかと言えば…
※アフィリエイト広告を利用しています 【X投稿文章の再掲】 とりあえず投稿文をそのまま転記していますが、あとでまとめ直す予定です。 Xより見やすいと思いますので、こちらに再掲しています。 先に話した真実と事実の話にかなり関わってくるのですが、パライソを軸に、刀ミュにおける月について考えていきたいと思います。月って何だっていう内容的な話もだけど、おそらく演出的な話になる予定です。 パライソに限らず、刀ミュって作品の中でめっちゃくちゃ月が出てくるじゃないですか。何かあっちゃあ背後に月、意味ありげに出てくる月。三日月だったり満月だったり。刀ミュにおいて背景に月が出てくる場合は、夜だという表現の他にも…
第1弾・第2弾から引き続き、↓の論文についてご紹介。 高浜州賀子, 細川幽斎・三斎・忠利をめぐる禅宗文化(1), 研究紀要(熊本県立美術館研究紀要), 1, 5-31, 1987 今回でラストかな。