講釈師の名跡。明治期に活躍した二代目が有名。
1834〜1905 幕末から明治期に活躍した、講談の中興の祖。 武家の出。鼠小僧次郎吉を有名にするなど、泥棒話を得意とし、「泥棒伯圓」と異名を持つ。 また、明治維新後は、洋物ネタを講談に取り入れるなどの実験も行い、明治初期、落語の三遊亭圓朝と当時の人気を二分した。
松林伯圓
1897年(明30)3月~8月 雑誌「人情世界」連載。松林右圓(しょうりん・うえん、1854-1919)は泥棒伯圓と称された二代目松林伯圓の弟子で、1901年に伯圓を襲名して三代目となった。この講演速記物の連載時はその直前の時期にあたる。右圓の速記本は極めて少ない。 この講談も新作物で、明治中期の東京での首無し殺人事件や誘拐監禁事件に端を発し、日清戦争の勃発による朝鮮への出征に至るまで様々な事象に振り回される人物たちの姿を描いている。やや風呂敷を広げ過ぎてまとまらない感じがするが、語り口は丁寧である。☆ 国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。 https://dl.ndl…
1896年(明29)三誠堂刊。明治の名講談師の一人松林伯円(通称泥棒伯円)の口演筆記本。江戸寛政年間の実話に基づいた妖刀村正による斬殺事件。明治中期以降講談筆記本の流行により、「世話講談百番」などの企画で次々と出版されていた。版元の競争もあり、同一内容の講談を題名だけすり替えて別の版元から出すことも多かった。この講談も『袖ヶ浦血染錦』として三友舎から出ている。事件は品川の宿場女郎との恋の鞘当ての結果、痴情に狂った旗本が姦策をめぐらした仲間を次々と斬殺したので、直接袖ヶ浦とは関係がない。江戸時代の歓楽の大半が遊郭を舞台としたものが多い。「酒・女・歌」は全世界の人間に普遍的な快楽なのだろう。☆☆ …
1890年(明23)金槇堂刊。「泥棒伯圓」という仇名を持つ講談師松林伯円(しょうりん・はくえん)による口演速記本。(まつばやし)と表記している場合もある。明治20年以降に定着する言文一致体を後押ししたのが、円朝や伯円の速記本だった。江戸中期の享保年間に雲霧仁左衛門を首領として各地を跋扈した盗賊一味が大岡越前守らによって捕縛されるまでの物語。雲霧は盗んだ財貨を仲間たちに分配し、それを元手に泥棒稼業から足を洗おうとしたものの、子分の何人かは悪行から抜け出せず、それが引き金となって一網打尽となる。子分たちの性分が書き分けられていて面白い。☆☆☆ 国会図書館デジタル・コレクション所載。挿絵は後藤芳景(…
(てんぽう・かいそでん)1997年(明30)大川屋書店刊。上下2巻。江戸時代の有名な義賊・鼠小僧治郎吉の一代記を名講談師・松林伯圓(しょうりん・はくえん)が口演したのを速記した本になる。この他にも白浪物という怪盗たちを演題に上げたのが当時の聴衆に大好評で、俗に「泥棒伯圓」という仇名がついた。鼠小僧の少年期を含むいくつかのエピソードをまとめた長編になるが、丁寧な語りながらもあまり脱線せず、話をうまく落としどころにもっていく手腕は流石だった。特に借金や賭博の負けに加えて、身代金から義援金まで重なって、一度に大金が必要に迫られての絶体絶命の局面から、一挙にそれを片づける鮮やかさには、フランスのルパン…
「日本古書通信」1135号に、目時美穂さんが「音声再生装置としての講談速記」という文章を書いています。明治の半ば頃、大衆紙には小説とは別に、講談の速記が連載され、愛読され、単行本にもなっていた、というのです。明治32(1899)年には東京府下の新聞18種に12種の講談物が載っていたが、大正末期には姿を消してしまったという。そのきっかけは明治17年、速記術に熱中していた明治法律学校(明治大学の前身)の学生2人が、稗史出版社という出版社の依頼で話芸の速記を採ることになり、三遊亭円朝の「怪談牡丹灯籠」の口述速記を採ったことだそうです。翌年には、二代目松林伯円の講談「安政三組盃」を、上野広小路本牧亭に…
先週は窓展そして今週は趣味展と、2週連続で朝イチの古書展であった。いつもより金も使うし、気力体力も使うので連続というのはちょっとキツいものがある。今日はまたちょっと路線バスが遅れて乗る予定だった電車に乗れず、結局古書会館についたのは開場5分前だったのだが、入り口に降りて行くとすでに開場していた。カゴを持って扶桑書房の棚に向かう。おおこれはというものは特になく、それでもいくつかカゴに。今日はやたら与謝野晶子の本が目立った。一応署名のあるなしを確認するが無し。博文館の「少年文学」がズラッとあったので、そこから一冊選ぶ。会場をぐるりと回っていく。オッという見つけものもあり、とりあえず帳場に預けて友人…