第二次早大闘争は1969年4月に開始され、10月頃に収束した。9月3日に第二学生会館(今日の26号館の場所にあった)の全共闘派と大隈講堂の革マル派が機動隊によって排除されて終わった。約半年である。1966年の第一次早大闘争も150日間で半年くらいのものだった。それに比べると早稲田解放闘争は、民青系と新自治会系・行動委系の二つの一周年集会に別れたとは言え、一年ちょっとはやった。第一文学部執行委員会では、樋田君らの民青系が少数派で採決では私たちの方が多数だった。それは樋田君の本にも書いてあって、彼らは「有志」とビラに書いた。 『風のクロニクル』第三幕は、その9月3日の機動隊の声から始まる。そして四…