福島泰樹は1962年に第一文学部入学。1964年春から夏にかけて、第一文学部自治会の主導権を巡って革マル派と諸党派の内ゲバがあり、革マル派敗走。 これは一次闘争前の事で、同じ事が二次闘争でも起き、解放闘争でも起きている。早大文学部にはこうした政治的構造になる宿命があったのか。革マル派はその二度の敗走からしぶとく組織を立ち上げているが、完全に消滅させたのは私たちの解放闘争によるリコール運動である。 その時、福島泰樹は1964年7月2日事件で革マル派を襲った側だが、「瓦解した」闘争後の平穏に耐えきれず早稲田短歌会に没入するようになる。1966年1月、4年生の卒業の時に、第一次早大闘争に参加したが、…