福島泰樹(1943〜) 東京生まれの『絶叫歌人』。
『バリケード・一九六六年二月』でデビュー。以後、『短歌絶叫コンサート』という新たなジャンルを創出。
東京都台東区下谷にある、下谷七福神毘沙門天札所・法昌寺の住職。
福島泰樹は1962年に第一文学部入学。1964年春から夏にかけて、第一文学部自治会の主導権を巡って革マル派と諸党派の内ゲバがあり、革マル派敗走。 これは一次闘争前の事で、同じ事が二次闘争でも起き、解放闘争でも起きている。早大文学部にはこうした政治的構造になる宿命があったのか。革マル派はその二度の敗走からしぶとく組織を立ち上げているが、完全に消滅させたのは私たちの解放闘争によるリコール運動である。 その時、福島泰樹は1964年7月2日事件で革マル派を襲った側だが、「瓦解した」闘争後の平穏に耐えきれず早稲田短歌会に没入するようになる。1966年1月、4年生の卒業の時に、第一次早大闘争に参加したが、…
中原中也(1907-1937) 幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました 幾時代かがありまして 冬は疾風吹きました ・・・・・・ サーカス小屋は高い梁 そこに一つのブランコだ 見えるともないブランコだ ・・・・・・・ ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん(「サーカス」) およそ百年経った今も、「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」と聴けば、バネで弾かれたように、「中原中也!」と叫ばざるをえない。 凄まじい擬音語の発明だ。こんな擬音語を、生涯にひとつでもいいから自分も発明してみたいと、いく千いく万の詩人の卵たちが念じたことだろうか。憧れたことだろうか。成功した例を、寡聞にして私は知らない。文字どおり死屍…
将棋の板谷進(当時)八段と、寿司屋でちょくちょく、ご一緒した時代があった。 初対面のとき、私はひと眼で八段と気づいたが、板さんも女将さんも将棋にはまったく不案内らしく、たまに一人でふらりとやって来る中年の客とだけ、思っていたらしい。いつも銭湯帰りに寄られるのだろう、やゝ上気したお顔で、髪も乾ききってはいなかった。 きびしい勝負のあと、寛いでおられるのであろうから、初めはあえて声をお掛けせずにいた。何度目かに、席が隣り合せた。板さんや女将さんと、あまり会話が弾んでいない様子だったので、視かねてついに、 「板谷進先生で、いらっしゃいましょ?」 ほう、ようやく将棋を知ってる奴が現れたかとばかりに、話…
書肆侃侃房 出版 東直子・佐藤弓生・千葉聡編著 「短歌タイムカプセル」 感想の注意書きです。 yuifall.hatenablog.com 福島泰樹 その窓のむこうに映る人々や死はやわらかく溶けて廻れり この人は僧侶でボクサーなんですね。僧侶なのかぁ、だから死がやわらかく溶けて廻るんですね。死者の魂に寄り添うまなざしが感じられます。 羊水と湯灌のみずのやわらかく蕩けるように死はやってこよ という歌もあります。この人にとって死はやわらかい存在なのかもしれないなと思いながら読みました。 その一方で、 一万試合は観てきた俺の眼窩からある日歪みて消えゆくリング というちょっと荒々しいテーマの歌もあり、…