梅原眞隆の個人雑誌『道』は、昭和8年9月100号に達した。101号以降にそれを祝した会員からの書簡等が記載された。その中に壽岳文章の名前があって、目を惹いた。104号、昭和9年1月の「随喜(本誌)百號記念」欄である。大西良慶、相馬御風、多田鼎らが和歌、俳句や漢詩を贈る中、壽岳はホイットマンの「大道の歌」の一節を引いている。 さあ行かう!道は我々の前にある!心配はいらぬーー私がそれをためしてみた、わたしのこの足がそれを十分にためしてみたーーはぐれるなよ。 壽岳は、昭和6年1月から7年12月まで柳宗悦と共に雑誌『ブレイクとホヰットマン』を24冊刊行していた。梅原の誌名『道』にかけて、エールを送った…