考古学者。「弥生時代稲作説」の提唱者。1903年(明治36)奈良県桜井市生まれ。
「東京考古学会」を結成し、雑誌『考古学』発行。昭和8年、その当時の学界でどの学者も考えなかった「弥生時代に稲あり」という考えを『日本原始農業』という論文集として発表し、学界に一大センセーションを巻き起こしました。しかし、生前この考えは誰にも相手にされませず、最大の理解者であり、協力者であったミツギ夫人とともに1936年(昭和11)、わずか32歳という若さでなくなる。
しかし、没後10ヶ月後、昭和11年の12月に奈良県の唐古遺跡の発掘調査がおこなわれ、「弥生時代稲作説」が実証された。
そして、弟子の藤森栄一、小林行雄、杉原荘介らによってその考えは受け継がれ、現代日本考古学の父ともいわれるべき存在となっている。