人と人とを出逢わせる、結びつけるというのは、人間的力量の最たるものかと思う。 今東光は津軽藩士の家柄だったことから、作家志望の太宰治青年の訪問を受けた。津軽つながりだ。文学を離れて仏道修行専一の時期だった東光は、自分には面倒看きれずと判断し、佐藤春夫への紹介の労をとった。で、太宰は佐藤春夫門下となった。 後年、田中英光の訪問を受けた。太宰治に紹介した。巡って、太宰歿後一年後に、田中は太宰墓前にて自決することになった。小説であれば、作り過ぎだろうと云われそうな因果である。 中学の後輩にあたる稲垣足穂の、才能は高く評価しているが、面識はないと東光は云う。機会があれば会ってみたいとも。稲垣のほうは、…