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今東光

(読書)
こんとうこう

作家、天台宗僧侶。作家の今日出海は弟。

明治三十一年(一八九八)横浜市の生まれ。日本郵船会社勤務の父に従って各地を転々、中学は中退。しかし、文学青年として早くに川端康成を識り、第六次『新思潮』『文芸春秋』『文芸時代』の同人となり、谷崎潤一郎に師事し、『新感覚派』作家として世に出たが、まもなく菊池寛に反逆して文壇を離れ、天台宗の僧侶となった。法名は春聴。
昭和三一年発表の歴史小説『お吟さま』が直木賞となり、文壇に復帰、流行作家となる。
復帰後は、旺盛な筆力で「闘鶏」「河内風土記」等、河内の風土を題材とした代表作を発表する一方、各地の天台院の復興に力を尽くし、大僧正にも任じられた。晩年、平泉中尊寺貫主、参議院議員などをつとめたが、昭和五十二年(一九七七)千葉県の病院にて没。七十九歳だった。
 
作家の瀬戸内寂聴は弟子であり、今東光により寂聴と法名をつけられた。今東光のあとを受け、現在中尊寺の貫主をつとめている。

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