京都学派の片方の極北に位置する「男爵」の哲学者、少なくともハイデガーは彼を懐かしくそう呼んだ、それは九鬼周造であります。 ヨーロッパ留学が長きにわたった九鬼は不思議な感性の持ち主でもあった。 「小唄のレコード」なる随想がそれをものがたる。 私は端唄や小唄を聞くと全人格を根抵から震撼するとでもいうような迫力を感じることが多い。 そして、その夢想はこのような結論に行き着く。 私はここにいる三人はみな無の深淵の上に壊れやすい仮小屋を建てて住んでいる人間たちなのだと感じた。 林芙美子と成瀬無極との会話のなかでの告白である。 私は端唄や小唄を聴いていると、自分に属して価値あるように思われていたあれだのこ…